【助けてください】昔あったこと【いじめ】

1名無しさん2018/10/29(月) 21:06:15.38ID:MDOi09z1
小学生のときにあったことです。
そろそろ成人するので、私の経験した事実を書き留めます。

現在精神が病んでいる状態なので、怒りのあまり聞かれたら地名を書く可能性が高いです。

2うにいくら2018/10/29(月) 21:08:55.76ID:MDOi09z1
まず初めに、私がいじめを受けたのは小学生のときです。
当時はわかりませんでしたが、現在は発達障害と場面緘黙症を持っていることが判明しており、昔できなかった理由についてはそのせいだということをご理解いただけたら幸いです。

3うにいくら2018/10/29(月) 21:11:59.09ID:MDOi09z1
私は広島のOomt小学校に通っていました。
山の中腹にある、それなりに通っている人の多い学校です。
その地域(主に山周辺に住む方々)は必ずその小学校に通い、卒業したら上にあるAsmnm中学校に行く風潮でした。

4うにいくら2018/10/29(月) 21:17:20.27ID:MDOi09z1
小学校は閉鎖的な田舎の中にあり、いくつかの地域グループの中でよくいじめられている子がいる、ということは薄っすらと知っていました。
一度縦社会でいじめられると、必ず下の学生にもいじめられる……そんな環境でした。

グループは帰りのルート(リボンの色で判別される)が4つあり、その数だけいじめられる子がいました。
恐らく私の代、その中でも私が一番ひどかったのではないでしょうか。
今は別の地域に引っ越したため、現在の状況は知りません。

また、小学校の公式HPからも私がいじめられていた事実、その後の経緯すら、なかったことにされています。

5うにいくら2018/10/29(月) 21:23:55.01ID:MDOi09z1
最初にいじめられた、嫌がらせを明確にされたというのは、小学2年生のときでした。

その日はいつも通りの朝でした。
私は登校時間に余裕をもたないとよく不安になってしまい、パニックを起こしてしまうので、始業時間の1時間前には教室に着くようにしていました。
なのでかなりゆっくり、ということは絶対にありえませんでした。

教室のある階層に着いたとき、既にちらほらと数人の生徒が挨拶を交わし、昨日あったことや流行りのゲームについて語り合っていました。
何も変哲のない、よくある風景です。
しかし、その日の教室の中からは数人の男子生徒がこちらを覘いていました。

あまり顔は覚えていませんが、プリントを手渡す際に話す程度の関係だったと思います。

6うにいくら2018/10/29(月) 21:31:45.39ID:MDOi09z1
その男子生徒は他の男子と手を組んで、私を教室に入れないよう仕組みました。
私も「まだ時間はあるから大丈夫」と、余裕が残っていたので「どうやって入ろうかな」と思案しました。
しかし、おかしく思い始めたのはいざ教室へ入ろうと、行動に移したときからでした。

彼らは前のドアも後ろのドアも、様々な道具を使って閉じてきたのでした。
他の子が入ろうとすると「入れ入れー」と招き入れるのですが、私が教室に入ろうとしたときだけ固くドアを封鎖します。
これには私も困りました。
それを始業時間ギリギリまで、ずっと繰り返しするのです。

私も「何とかして入らないと怒られる」と焦り、前も後ろも力任せに引っ張りました。
それでも空くのは僅かな隙間だけで、人ひとり通るには不十分でした。
更には小学生の腕力ということもあり、限界まで力を込めても突っ張り棒さえかけてしまえばどうにでもなる、その程度でした。

7うにいくら2018/10/29(月) 21:38:14.46ID:MDOi09z1
最後の最後にはもう、泣くことしかできませんでした。
大声で喚くことができないので、ランドセルでドアを殴って、すすり泣きながら「開けて」と呼ぶしかありませんでした。

早く開けないと、早く教室に入って準備しないと、ちゃんと席に着いていないと、先生に怒られる。

他のクラスより幾分か優しい担任でありましたが、私にとっては怒られる恐怖が父親の影響で身に染みており、「先生も怒ったら木なんて簡単に割ってしまう」と本気で思い込んでいました。
話は反れますがうちの父親、怒ったときによく私に手を上げたり、物に当たって壊したりする人です。
自分の適わない腕力におびえて爪を噛むと、更に叩かれる……ということを繰り返していました。

8うにいくら2018/10/29(月) 21:50:24.41ID:MDOi09z1
話を戻します。

私が泣いているうちに、始業時間……ホームルームの始まる時間になってしまいました。
後ろに近づいてきた先生の足音にパニックを起こし、躍起になって振り回していたランドセルを持つ力さえなくなり、バリバリと腕をひっかき回しました。
「怒られる」とおびえて泣き続ける私に向かって、先生は駆け寄ってくださいました。
「うにいくらさん、どうしたの?気分悪いの?」と問いかける先生に対し、私は何を言ったらよいのかもわからずにドアを指さすしかありませんでした。

残念ながら私は、その後のことをよく覚えていません。
小学生時代のほとんどで「起承転結」の「結」の部分を、私は覚えることを放棄しています。
病院の先生曰く、「あなたは強いストレスを抱えた結果、物事を忘れる(忘却機能)ことをかなり広範囲に渡って行ってしまっている。しかも最近あったことも覚えないように無意識的にしている」だそうです。

私は自分のこんな都合の良い機能が、嫌いで仕方ありません。

9うにいくら2018/10/29(月) 22:00:44.55ID:MDOi09z1
次に嫌がらせがあったのは、小学3年生のときでした。
ある日のことで、何のときかは鮮明ではないけれど、私は体操服を着ていました。
他のみんなも体操服を着ていて、「これからみんなで運動でもするのかな」と陽気な日差しを浴びながら、ボソボソとお気に入りの曲を口ずさんでいました。

障害を持った方に特有なのですが、よく独り言をしているのは自分を落ち着かせるためです。
「そうしていないと落ち着かない」と本気で思い込んでいるのでご容赦ください。

私は最近よく聞くドラマの主題歌を(今でもカラオケ上位ですね)、綺麗なイントロからワンコーラスまで覚えていました。

そう、そこで首にかけていた紅白帽子のゴム紐を引っ張られたのでした。
きゅう、と細い首が前に行こうとする身体と、後ろに引っ張られる帽子との間で、僅かながらに細い首は閉まっていきました。
勿論、一瞬のうちに何が起こったのかわからずに、ただただ私は引っ張られた方向へ下がって行く他ありませんでした。

しかし、引っ張った人物はそれでもなお引っ張り続けました。
次第に大きくなる耳鳴りと、血が滞って熱くなる頭部、ギリギリと熱を持ってゴムが擦れる首。
「苦しいからこれ以上はやめて!」と言おうとした瞬間、突如として帽子のゴムははじけ飛びました。

児童用に作られたもので、ある程度の強度はなかったのでしょう。
しかし、見るも無残に私の紅白帽子は片側のゴムが根元から切れてしまいましいた。

まず「あ、私の……買ってもらった帽子が」と壊してしまったことにショックを受けました。
次に学校中の先生からの言いつけである、「帽子のゴムは必ず顎の下にかけること」が守れなくなり、怒られることへの恐怖で、また私は泣きそうになりました。

でもその前に数秒呼吸が止まっていたので、既に若干涙を浮かべていたでしょう。
しかし咳き込む私を見て一言、男子は「わりぃ、引っ張りすぎた」と何の悪意すら抱かない笑みを浮かべました。
まるで私には何の興味も持たず、ただおもちゃが壊れたような感じでした。

その日の夜、私はお風呂で真っ赤に擦れた首を触れました。
鏡にはっきりと映る一線は、少しお湯にしみて痛みが走りました。

加害者の男子生徒のことは覚えていませんが、彼は近所に引っ越してきた家の子らしいです。
今現在も嫌いです。

10名無しさん2018/10/29(月) 22:03:39.49ID:4kUMMVXz
医者にそこまで診断されてるんなら、ゆっくり療養しなさい。身障の手帳申請したら貰えるんじゃないかな。
俺はストレスかかった時に少し忘れる事はあるが重度じゃないから、なにも得られないけどね。
黙り込んじゃうことがあるのも一緒だね。
原因は親からのストレスと、そのストレスで少し周りの子と違う感じになってることなどによる子供時代の周りの子供からのイジメや嫌がらせだと思う。

11うにいくら2018/10/29(月) 22:15:46.08ID:MDOi09z1
そのあとも色々とありながら、小学4年生になりました。
何とか、10歳になれました。
世の中の一部の方が喜ばれる年齢ですね(笑)

その頃ですが、私ははっきり「異常」と言える学校生活を送っていました。
まず、授業中は大人しく聞いていられますが、いざ問題や朗読で当てられたとき、発言が全くできません。
沢山の奇異の目が、失敗を今か今かと待ち望むような同級生の目が、怖くて仕方ありませんでした。

他の地域と比べて児童の人数が多かった世代だったので、ひとクラスは35人でした。
それに伴い、私に向ける瞳は倍の数。
問題の答えも話の意味も理解しているのに、口が震えて何も言えませんでした。
手足に血が通わなくなり、立っていることも苦しかったです。
しかしそこでうずくまったら更に注目されることは目に見えていたので、死にそうな精神力で足に力を入れていました。

そして先生に怒られたり、発言を受け私一人だけに注目を浴びた瞬間から何も行動ができなくなり、はさみでよく指先を切る遊びに熱中するようになりました。
いわゆる「リストカット」のようなものです。
楽しみを持っていたものではなく、ただ周囲が怖くて仕方なくて、何もできないのは手持ち沙汰であったから刃を滑らせていた……そんなよくわからない状態でした。
何度も切り刻んだおかげで指先の皮は厚くなり、トントンと指先だけで叩いた際にかなり大きな音を立てるぐらいにはなりました。
そのことを両親は知りません。

それと、人に名言できる程の嫌いな男子ができました。
苦手意識というレベルではなく、徹底的に避けないと被害が出る人物です。

私は彼とその取り巻きに、最初は近づかないようにしました。
クラスの人間特有なのだが、まず私に話しかける人間は「遊ぶ」ために近づきます。
おもちゃは物によっては壊れやすいから、壊れる寸前まで弄びます。
よって避けるためにも、休憩時間はなるべく静かな図書室に引きこもりました。

しかしお昼休みが終わる頃、図書室の前で待ち伏せをします。
残念ながら出入口はひとつだけで、絶対的に彼とその取り巻きに鉢合わせる他ありませんでした。

そして授業が始まるまで私を追い掛け回します。
「鬼ごっこ」と評していても、私にはいつ殴られるかもわからない時間です。
よく殴られたのもその時間でした。

ただ「むかつくから」という理由だけで、一発大きな青あざを頬に広げました。
「これには流石に溜まったものじゃない」と、私は即刻保健室に行き、先生に報告しました。
「あの子に叩かれて、追っかけられて、逃げる場所がなくなった」と。

しかし悲しいことに、担任まで話が伝わるまでには及びませんでした。
ただの子供の悪戯と思われたのでしょう。

保健室の先生と話すのは初めてでありましたし、私が普段から何をされているのか全く知らないのです。
大事に思われることはありませんでした。

少し恥ずかしいのですが、このとき若干の妄想癖(後の中二病)を発症しており、「これでもう殴られることはなくなる」と彼らが怒鳴られる様子を想像しながら安心していました。

休憩時間丸々頬を冷やしてようやく教室に帰れましたが、よく授業に遅れて参加するようになり、理不尽にも怒られることが増えました。
「私のせいじゃないのに!」と憤慨しようにも、理由の伝え方がわからずに葛藤しました。

しかし、それ以降も男子からの暴力が止まることがなかったのは、しっかりと覚えています。
この辺りから、他の人と……幼馴染でさえ、まともに話せなくなりました。

12うにいくら2018/10/29(月) 22:18:02.53ID:MDOi09z1
>>10
ありがとうございます。
小学校の6年間はほぼいじめられ、結果として身体的損傷が認められたので、成人式にでも医療費を請求する所存にあります。

13うにいくら2018/10/29(月) 22:41:14.19ID:MDOi09z1
翌年、小学5年生のときのことです。

何年も慣れていた先生から一転、中学校入学までに慣れさせるつもりだったでしょうか、急に今までに話したこともない男性教師Kが担任になりました。
これまで4年もの間ずっと女性の先生だったため、話の内容が若干性的な内容であったり、ホラーを取り込んだ出来事を話す先生は、私の目には恐怖の対象としてしか映りませんでした。
何年もの同学年だったはずの人たちもひどく別人のように見えて、ひたすらに学校へ行く時間が嫌でしかありませんでした。

それに今なら確信して言えます。
男性教師Kがとっくに辞めたことも知っているが、彼は明らかに女子生徒に対してのみセクハラをしていました。
他の男子生徒にとってはただの「面白い出来事」で済むのでしょうが、私たちにとっては違いました。
好感を持つと思ってやった、問題が不正解だったときの罰ゲームも、こちら側に引き寄せるときに何故か臀部を触っていたのも全て、セクハラであったことが言えます。

おぞましい出来事ばかり思い出されます。
彼が裏で「実は懲戒免職になってたー☆」であるのか、気になるところです。
あわよくば社会的に制裁を受けていてほしいです。

私の性格そのものが顕著になり、今でも精神的ショックを受けることがある出来事です。

14うにいくら2018/10/29(月) 22:43:53.70ID:MDOi09z1
ある日の1時間目のことです。

季節は冬で、中型ストーブはあまり機能しておらず、私は寒くて手をしきりに擦り合わせていました。
鉄パイプと木の机では温まろうにも難しいのです。
ひざ掛けも、マフラーを乗せるのも禁止。
保温ストッキングを履くことは当時の小学生の発想にはありませんでした。

私の小学校は制服着用の珍しい学校なのですが、男子児童は見ていて憐れむ程にひざ上丈を強要されていました。
しかも山の中腹という立地。
かなり冷え込むとつららも容易にできます。
そんな中でぬくぬくと温かい私服を着る先生が少し羨ましかったです。

国語の地獄の朗読も、何とか私の順番の直前で終了したが、先生のよく当てる法則「終わったら次の人が問題答えてね」方式により、私がその場で立ち上がって「主人公の心情を答える」問いを当てられました。
ここだけの話、私はその法則が大の嫌いです。
いくら小学校といえど、答えられない問題もあるだろうし「わからない」と言えばすぐさま「えっこれぐらいもわからないの?」と疑問と嘲笑の目に溢れるものでした。
余程難しいものでない限り、全ての反応が同じになるのはやめてほしいです。

このときは答えを既に予習しており、問題の意味もわかっていました。
しかしこの歳になっても、未だに「人前で発言をする」ということが怖くて仕方ありませんでした。
だから蚊の鳴くような声であっても私の精一杯なのでした。

そんなことはつゆ知らず。
K先生は当然のことながら「もう1回聞こえるように言え」と、やたら高圧的に私に言い放ちました。
それが父親に怒鳴られるときとほぼ同じトーンなのだから、更に萎縮してしまったのが運の尽きでした。

私は全員に注目された空気の中に取り残され、何も言うことができなくなりました。

小学生の私は知るよしもありませんでしたが、これは「場面緘黙症」と言う、れっきとした病状です。
簡単に説明すると、家や親しい友人の前だと安心して会話でき、慣れない公衆の面前だと筋肉が硬直して離せなくなる症状です。
これまでに起きた出来事と正に当てはまり、後の人生においても大方対処できる問題ではあります。

しかし当時の私は子供。
そんな病気があることも知らず、一人で病院に行くことすらまともにできない、一見して「人見知りの激しい」子供でした。
更には当時あまり浸透している病名でもなく、周囲からは「まともに話のできない人間」と見られることが多いものでした。

15うにいくら2018/10/29(月) 22:46:02.92ID:MDOi09z1
それから5時間が経ちました。
「信じられない!」と、嘘偽りであると、誰もがそう思うでしょう。
残念ながら事実です。

その間私は一度も席に戻されず、休憩時間も外に出ることを許されず、クラスメイトだけが出入りを繰り返し、教室の外で遊んでいました。
私にはそこまで遊ぶ人がいませんでしたし、給食も立ったまま食べることを許されましたが、それ以外はトイレ休憩に行くことすら叶いませんでした。

水分をあまり摂らない習慣であったのも幸いかもしれないです。
少なくとも「何かしたい」という欲求も言えず、ただただ「問題の答えを言いなさい」という簡単な問いかけを答えることだけに、5時間を要していました。

私は返事(うなずく程度だが)はできます。
しかし「声を出すこと」に関してだけは、とても怖くてできませんでした。

少しでも話すとそれを聞き逃すまいと全員が息を飲み、耳を澄まします。
その瞬間に私を見つめる双眼がギラギラと光を増し、突き刺さるようで恐怖を感じます。

「これ以上私のことを見ないでほしい」と何度願ったことでしょうか。
人生の中でも数度経験する羽目となるそれは、このときが最も苦痛であったように思えます。

何も話せなくなってから1時間後のとき、先生は何を思ったのかわざわざ席から引き離し、かんかんと熱を放つストーブの前に立たせました。
そして「ちゃんとそこから聞こえるように」と指示を出しました。
私には「声を出すこと」以外の新たな関門が設けられたものと同じでした。

初めは暖かく落ち着いてきたとしても、段々と灼熱の赤外線が肌を刺すようになります。
それから4時間も、立ちっぱなしの背中から腰にかけて、かなり熱く、痛みもありました。

今では体罰と同等でしょう。
事情を知った世の親が、学校に抗議の電話や文書を送るレベルのものです。

若干パニックに陥っていた私でも、ストーブに熱されるうちに「あれ、何かおかしいな」という疑問は薄々と感じていました。
しかし世間一般論で、先生の言葉は「絶対」です。

凝り固まった口腔内の筋肉がヒクヒクと痙攣を起こし始めた頃、先生は突如として私に再度言い放ちました。
「もういいから。黙っててもしょうがないよ?」と。

その場で帰ってしまいたかったです。
教科書もランドセルも放り出して、今すぐにでも優しい両親に泣きつきたかったです。
よく詰まる鼻で息も声もできなくなっても、先生のしたことが本当に正しいのか教えてほしかったです。
しかしその場で何よりもできてほしかったのは、私自身がちゃんと問題の答えを言うことだけでした。

そしていつものように家に帰ると、この出来事は全部悪い夢の中であったように忘れてしまいました。
結局のところ答えは言えませんでした。
周囲の生徒は先生に「休み時間も遊んでよー」と言い、私には「何この子」と奇異の視線を向け、いじめる行為を助長しました。

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