会津藩士の最古級「弔文」発見 子孫宅、戦死者『義士』と記述

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1たぬきゅん ★2018/04/16(月) 08:20:36.92ID:CAP_USER
会津藩士の最古級「弔文」発見 子孫宅、戦死者『義士』と記述
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180416-261702.php

 戊辰戦争で敗れ、青森県下北半島などで「斗南(となみ)藩」として再興した会津藩。廃藩置県で藩の消滅後の1890(明治23)年、藩庁が置かれた現青森県むつ市の円通寺で、旧藩士やその家族によって会津藩の戦死者を弔う「二十三回忌」が行われた。この時に読み上げられた弔文6点が15日までに、会津藩士の子孫方から見つかった。専門家は、戊辰戦争に伴う会津藩の弔文としては最古級で、当時の人々の考えが分かる点で貴重とした。

 会津藩の500石取りの上級武士・小池家の子孫で、13代目に当たる仙台市の小池純一さん(70)方で発見。3月23日、自宅の古だんすを整理したところ風呂敷包みから出てきたという。小池さんは会津藩を研究し、複数の関連団体に所属する歴史愛好家。「まさか自宅に未発見史料があるなんて」と驚き、「戊辰150年の節目に先人の気持ちをあらためて考え直した。内容も涙を流さずにはいられない」と弔文を見つめた。

 弔文は1890年5月1日、円通寺で行われた二十三回忌で「松本素水」「山田定三」「田中はつ」「橋爪陽」「二瓶たけ子」「小杉里」の6氏が読んだ。会津藩の悲惨な歴史を振り返り、戦死者の名誉をたたえている。山田定三は「諸君の身は死んでも名は滅しない」、松本素水は「賊名は滅せられ、後世の人々の模範」とたたえる。高齢の田中はつは「嘆いてもどうすることもできず、亡き人のみたまを慰めるだけ」と吐露している。

 県立博物館(会津若松市)の阿部綾子主任学芸員は「戊辰戦争の記憶が鮮明な人が当時を振り返り、気持ちをまとめている点が興味深い」とする。戦死者を「義士」「忠義」「義節」などと表現しており、「『義』のために戦った共通認識がはっきりと読み取れる」と指摘した。

2Ψ2018/04/16(月) 08:28:45.29ID:rsWl29JC
水鳥拳のレイ

3Ψ2018/04/16(月) 08:55:33.16ID:uovv9YfW
ご冥福をお祈り致します

4Ψ2018/04/16(月) 09:28:32.61ID:lLiIbGiL
東北人の融通の利かなさ。
コメ相場長者の本間は、反官軍に資金協力、山形県では勝ったが、
東北では負けたので、結局没落。会津は、薩長協力派家臣を自殺させて、
自滅的幕府方になった。しかも徳川家は降伏してるから、大将もない
自滅戦争。

5Ψ2018/04/16(月) 10:05:27.37ID:GSuf2lbu
義士ってw
韓国人と同レベルかよww

6Ψ2018/04/16(月) 10:33:39.76ID:IDMyTIPk
>会津藩の悲惨な歴史
慶喜が率先して降伏してくれたのだから、それに習えばよかっただけ
おそらく会津藩には「負け」が足りなかったのだろうな

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