シベリアにラノベ含む読書の話その8©2ch.net

があってもいいじゃないか。

前スレ
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791リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
マルティン・ハイデガー『存在と時間』高田珠樹 訳 作品社(2013)

二度目。
いったい何を論じたかというと、存在そのものを問う準備をするだけであった。
なぜなら、存在そのものを問うとバカにする論者しかいないからであった。
そもそもここはどうなってるの?などと聞こうものなら精神病患者呼ばわりされる。

現代5ちゃんねるでも、議論すると言っているスレを見てみると簡単に見つかる。
多くの知識を持ち、論じると自称している人たちは、素朴な疑問をかけられると精神病患者呼ばわりする。

おそらく、わかりきっていることをあえて問う人間など、勉強を怠った統合失調症患者だとみなす。
これは世界でもよくあることで、あまりにもわかりきったことを聞かれると面倒くさすぎて、
嫌がるのを通り越して、質問した人の全人格を否定してしまうようだ。

さらに、懐疑論者というものはどうも、論理的に正当な疑いを持っているわけではなさそうである。
素朴な質問をした人間を重度の統合失調症とか、IQが70くらいしかないなどと人格否定、精神攻撃するのは
そもそもその疑問に答えられないくらい無知ってことになるんじゃないだろうか。

そういう人のことをカントは、懐疑論的独断論者といった。
5ちゃんやリアルでもその辺で、超常現象を頭から否定して人格否定に発展させるようなことをする人がいる。
人間というものは「信じられない」というだけの理由で相手の全人格と存在そのものを否定するようになる傾向にあるが
こういうのが懐疑論的独断論者にあたるようだ。

信じられないだけの理由で超常現象否定が、人間の存在否定に発展し
「生まれてこなければよかったのに」とまで言っている「まともな頭の人間」が多すぎるので言っておきたい。

792リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
最初から違う話なので戻そう。

存在とは何なのか、という問いがまだできていなくて
問う気も起きないほど、何の準備もなされていないのがハイデガーがいた頃の状況だった。
さっき書いたのは、この現状は2017年になっても変わっていないと思うからだ。
「信じられない」だけの理由で神や幽霊、超常現象の否定を、なぜか相手の性格の悪さにすり替えられているからだ。
人は「なんだかわからないもの」を無意識に恐れて攻撃するようになる心理があるが
これはただの超常現象についての無知にすぎないことはわかっている。

それはともかく、目に見えないことを根本を問うとキチガイよばわりされるんだが、そこを問うのが本書である。
ハイデガーがあまり相手にされていない気がするが、こういう(なんの正当性もない、感情的な)事情があるのだろうか。

793リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
すべての存在は「現存在」といって「そこにある存在」と思っていい。
なんであろうとそこにあれば現存在という。
現存在は「気づかい」をして「自分がなんなのか、自分はどう周りとかかわりあうのかが気になる」という。
「気になる」のが現存在。現存在がそうあるのは「時間性」によるということだった。

時間は物事が動いたら、覚えていることと、見ていることが違うので時間がたったんじゃないかと、普通は思う。
だがそうじゃなく、気にする存在が投げかけて、投射されたら時熟しているんだという。
ようするに、暫く認識をむけていたら、頭でしか記憶してなかったのが、心にまで達して
理解が納得に深まり、よりしっかりとわかるようになるようなもの。

そういうことをするのは「気にしている」からで、気にしている現存在とは「ひと」という。
「人」ではないのは、愚か者で臆病者でせこくて卑しい根性の腐った存在なので「ひと」としている。
今さえ楽しければいいとか、テレビCMで欲望をかきたてて購買意欲を暴走させることだけやって
全国民を、今さえ楽しければいいように育て上げている、この刹那的な態度のことを「ひと」という。

「ひと」という性質を持つのが「現存在」である。
それが「時間性」を持った方が正当であるとし、「本来的に歴史的」なほうがいいとする。

細かいことは書いてられないから大体そんな感じかもしれないし、おおざっぱすぎて
まだ足りないことがあると思うが、まあそんな感じの話をしていると思ってほしい。

すべて、「存在とは何なのか、どう考えるべきか」の下地を作る、準備をするための、
前置きで、人々にそういう気になるように促すために『存在と時間』を書いたようだ。

794リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
さっきも言ったように、世の中は存在そのものを問うことが無い。
問えばキチガイ呼ばわりして、精神病院に入れたいと願ってきた。
そこから、神を信じていないという「まともな人間」を自称している人間が、神を信じている人間をキチガイ呼ばわりしていることがわかる。
神を信じていないことのどこが偉いのか知らないが、神を信じる人間は精神病院に放り込んでも警察は逮捕しないと信じている。
これは一神教的な態度であることを棚に上げて。

これが言いたかったんだが、実はほとんどの論理的思考を実践する人はこういう人である。
(5ちゃんで論じている気になっている一般人も、論理的思考をする人に入れる)
世界中の論理的思考というものは、実はあることだけを論じないように逃げ回りながら論じていたのであった。

論理的思考を聞いて、何かが足りないと思う人は多いと思う。
そういう人は素朴な疑問を抱き、自称論者に聞いてみると、キチガイ呼ばわりされて戸惑う経験をした人もいると思う。
なぜなら、神を信じて肯定することが、どうやら存在に直結する議論になるらしい。
そこをカントは否定しきらない言い方をし、ハイデガーはカントの内容に付け加えた。

キチガイ呼ばわりしている人たちがこの話題を避ける理由は「存在そのもの」を問うことを避けているからだ。
アリストテレスのような思想を持つ論者以外の論者が、なんと、「存在そのもの」を問えばキチガイ呼ばわりする傾向にあるらしい。
これは言い換えれば、論理的思考というものは、言葉で表現できることに限度があることを示す。
その限度を棚に上げて、神を信じないのを「まともである」とする人は、神を信じる人を「キチガイ」としてこき下ろす。
論じるのではなく、こき下ろしている。神を信じない人が、神を信じる人にそうすることが正しいと信じている。

そこに疑問を持てば、神を信じない人からキチガイ呼ばわりされるんだが、ハイデガーのように問わずにいられない人もいた。
存在をあえて問う人は、アリストテレスが最初だったらしい。

795リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
神を信じない「まともな頭の人」が、神を信じる「統合失調症のキチガイ」をこき下ろすので
『存在と時間』では、いきなり話が飛ぶ。
ヘーゲルの話が出てきて、いきなり人はこうあるべき、という話になる。

「ひと」という臆病者の態度から果敢にたちむかい、あえて責任を取ろうとして、
ようするに、ビビッて何もしないようにするんじゃなくて、毅然とした態度をとれという。
なぜか、日本人は責任問題を過剰にビビる傾向にある。

796リーダー ◆de85kRb5gY NGNG
ハイデガーがいきなりヘーゲルの話をして、自分を生きるよう促したのには、
ハイデガーのリアルがあったためであった。
ハイデガーも仕事獲得のために仕方なく急いで『存在と時間』を書いたのであった。

いろいろ言ったが、存在そのものを問う準備をするのが『存在と時間』の目的であった。
世界は存在そのものを問う人をキチガイ呼ばわりしてきて、それは、
現状の論理学とは、一部を避けて論じていたからであった。
現代、議論をいくら重ねても、何一つとして満足しない結論に至るのは、一部を避けているからである。
古代ギリシャではそこも論じていたのだが、いつしか論じなくなってしまったのだ。
そこに、現代の論理学の欠点があるのである。
法律では、あまりにも形式ばって、テンプレに過ぎないやり方で弁護士が証明して、本当にこれでいいのか心配になる。
何かが足りないのに、他人の運命を勝手に論じるわけだ。
そんなもんで有罪を決められるほうの身にならないのだ、こいつら法曹界は。
そんな欠陥があるとも知らないまま、どうすれば政党評価できるかなどと考えているのである。滑稽だ。

この本を読んで大事なことは、論理学の避けているところを認めることだろう。
そうすれば、神を信じている人間をキチガイ呼ばわりしている間違いの論拠が見つかるだろう。
もしかしたら、ここから、超常現象を頭から否定しない、という姿勢が生まれるかもしれない。
希望に過ぎないが、やがては「気の世界」を「非科学的であろうと」認めて
科学と、非科学がすっきりまとまった社会になってくれればいいと思う。

そうすれば、目に見えないから信じないので、目に見えないことを肯定するやつはキチガイといわなくなり
議論と言って他人を攻撃するような態度も、いくらかは収まる、といいんだが。

おわり

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