ひだ =^・ ・^= まり©2ch.net


シベリア超速報は
IPアドレス表示制です
アクセス規制中でも書き込めます

おじゃる?の書き込みは
基本的には
頭の中味が腐ってるので気にしないで下さい!

中論は難しくて意味が、わからないけど、とりあえず

仮設としての
無明してる世界の中で↓

中論 第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
ダルマについてのブッダの教えは
二つの真実(二諦)に基づいている
『この世の現象的な真実と:究極の真実である』
『世俗諦:勝義諦』


(渇愛が依存してる)無明してる世界を
(滅して、そして)手放すことができるのなら
縁起したものを離れることがある

↓平等性智(仏の智慧)の世界から観察すことができるのなら

中論 第二十五章 ニルヴァーナ(涅槃)の考察
『涅槃と:輪廻にある存在』は、わずかな違いすらない
『涅槃と:輪廻にある存在』は、最も微細な違いすらもない

正法眼蔵唯仏与仏
ttp://3rd.geocities.jp/yj_yamahide3/shoubougenzou/SX5_01_02.htm

> (地水火風空:識)元素を因として成立している
『仏の智慧と:外界の縁と:自己の因』に依存している色受想行識の五蘊仮和合


無明に依存して
渇愛に依存して
掴もうとして離すことのできない
想いが現れる

− これを対処するために −
仏の智慧の世界から観察して

すべての事象は、原因と条件(因縁)から成り立っている
『仏の智慧と:外界の縁と:自己の因』をもって変化している

八正道をもって、我・我所を手放して → 無我・無我所を知る

↓平等性智(仏の智慧)の世界から観察すことができるのなら

ttp://3rd.geocities.jp/yj_yamahide3/shoubougenzou/SX5_01_02.htm
(「願い求めること」が依存している)無明を手放すためには
涅槃も願い求めるべきものではない

(「あれこれと思っていること」が依存して)無明しているので
それゆえに
あれこれと思っていることは悟りの役には立たなかったのだと…

それゆえに、あれこれと思っている、通常の世俗の人とかは
『無明を手放しすれば仏だ』ということに、気づくまでは、気づくことは難しい
誰もが成仏するわけではない:五性各別であるがゆえに…

2015/05/24 魚川祐司氏:藤田一照氏:山下良道氏
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
2017/07/17 この世は「病原菌に満ちた世界」なのか?
ttp://www.onedhamma.com/?p=6084

(渇愛が依存している)無明している世界を手放して
↓平等性智の世界から観察することができるのなら

正法眼蔵唯仏与仏
(「願い求めること!」が依存している)無明を手放すためには
涅槃も願い求めるべきものではない
(掴もうとして想い求めるべきものではない)

「無明している!」に依存して
あれこれと思っていることは悟りの役には立たない
(無明に縁りて→行に縁りて→識に縁りて
  →感受作用に縁りて→渇愛に縁りて→生まれることに縁りて…)
ttp://3rd.geocities.jp/yj_yamahide3/shoubougenzou/SX5_01_02.htm
それゆえに、あれこれと思っている、通常の世俗の人とかは
『無明を手放しすれば仏だ』ということに
気づくまでは、気づくことは難しい



仮設としての
無明してる世界の中で
たとえば
仮に
お腹が痛いときに
「(単独で自性としての)魂のようなものがあるから痛みが感じるのだ!」
と掴もうとしてる想いが現れる

これまで私たちはこの世が苦そのものであると理解できずにいました
それというのも、すべての事象が恒常である
実体をもって
(単独で自立して自性として)存在していると信じ込んでいたからです



シベリア超速報で
IPアドレスが表示されても(xxx.yyy.zzz.xyz)

インターネットプロバイダとかで
複数のローカルアドレスを
単一のグローバルアドレスの
異なるポートとして
グローバルアドレスの数を減らして
IPアドレスとポート番号の変換をしてるので

基本的には
個人が特定されることはないので
(個人を特定するのは難しいので)

(通常の書き込みであれば)
個人情報保護などについては
たぶん大丈夫だと思いまつ  間違ってたら スマソ m(_ _)m



おじゃるの場合は
規制対象なので
「心と宗教」板では
新規スレを立てることができなかったけど

試しに
シベリア超速報では
新規スレを立てることができたので

ひだ =^・ ・^= まり©2ch.net
を新規にスレ立てしてみましたので ヨロ m(_ _)m



©

文字化けしてるので

もう一度

ひだ =^・ ・^= まり 2ch.net

9seia@無断転載は禁止NGNG
いわば相対の存在があるとき、そこに一は他を見、そこに一は他を嗅ぎ、そこに一は他を味わい、そこに一は他を語り、
そこに一は他を聞き、そこに一は他を思い、そこに一は他に触れ、そこに一は他を認識す。

されどその人にとりて一切が我となりしとき、そこに彼は何によって何者を見得べき。

そこに彼は何によって何者を嗅ぎ得べき。
そこに彼は何によって何者を味わい得べき。
そこに彼は何によって何者を語り得べき。
そこに彼は何によって何者を聞き得べき。
そこに彼は何によって何者を思い得べき。
そこに彼は何によって何者を触れ得べき。
そこに彼は何によって何者を認識得べき。

それによってこの一切を認識するところのもの、そを何によって認識し得るべき。

この我は、ただ「非也・非也(あらず・あらず)」と説き得べき。

彼は不可捉なり、何となれば彼は補足せられざればなり。
彼は不可壊(ふかえ)なり、何となれば彼は破壊せざればなり
彼は無染着なり、何となれば彼は染着せられざればなり。

彼は束縛せられずして動揺せず、毀損せられず。

ああ、認識者を何によって認識し得べきんや。

御身はすでにかく指教を受けられたり、マイトレーイーよ。ああ、不死とは実にかくのごとくし。

ブリハッド・アーラニアカ・ウパニシャッドより

> 苦・集は俗なり、滅・道は第一義なり

第一義諦(勝義諦)の世界から観察して
仮設としての
無明してる世界の中で
『(渇愛が依存してる)無明してる世界すべて一切は苦である』と観察する
『(因と縁の双方の)縁起に依存して集まって苦が現れている』と観察する
『地水火風の微粒子に分解して
  最終的には
  無明してる世界すべて一切が滅する

  無明滅 → 行滅 → 識滅する』と観察して
「苦しい!」と掴もうとしてる想いが滅する
「苦しい!」と掴もうとしてる想いを滅するための菩提分法

スッタニパータ 21
色即是空
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して
空即是色
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない
神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ

色即是空から → 空即是色まで
無の世界も超えて、童子は菩提心を起こし以前の世界に戻ってきた
童子は
平等性智の世界から
分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている


> この我は、ただ「非也・非也(あらず・あらず)」と説き得べき

仮設としての
我は

因縁果報の
因だけではない
縁だけでもない

因と縁の縁起に依存して、変化して、現れ滅してるので、それゆえに
(「それ自体、単独で自立している」という意味の)自性だけで成立しているのではない

12seia@無断転載は禁止NGNG
>平等性智の世界から
>分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている

無分別な心で、無常を感じらるのか。という疑問が出るのですが・・

> 無分別な心で、無常を感じらるのか。という疑問が出るのですが・・

おじゃるは観察の実践とかしたことないので本当なのか?わからないけど
(魚川祐司氏:藤田一照氏:山下良道氏)
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
この法話で
魚川祐司氏
「無分別な心で、無常を感じらるのか?」
(無為法の世界から観察できるのか?)

 − これに対して −
山下良道氏
(呼吸と
  地水火風の微粒子を観察して
  今この瞬間を切っ掛けとして)
「無為法の世界から観察する」という不思議な現象が起きる
ということであるらしい

無為法の世界から観察するために
今この瞬間を切っ掛けとするために
地水火風の微粒子を観察するために
呼吸の観察をする
というとこから始めるらしい

(この世は「病原菌に満ちた世界」なのか?)
ttp://www.onedhamma.com/?p=6084
この法話も参考として

間違ってたら スマソ m(_ _)m

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
通常は
(地水火風の微粒子に分解していく)
四界分別の観察から始めなければなりません
ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
仮設としての
無明に依存して
輪廻の主体となる
単独で自立して自性としての
魂のようなものがあるはずだ
という「霊魂の概念が生まれる」

 − これを対処するために −
呼吸を観察して
今この瞬間を切っ掛けとして
仏の智慧の世界を知覚して

仏の智慧の世界から観察して
無明してる世界すべて一切を
地水火風の微粒子に分解して
密集を看破して
無明してる世界を手放して、そして
(単独で自立して自性としての)
魂ではない
我ではない
自性ではない
という『無我への領悟、了解が生まれる』

という感じであるらしい  間違ってたら スマソ m(_ _)m

15seia@無断転載は禁止NGNG
あらず、あらずを
主観がわで、説明しようとすると、魂だ、アートマンだ、無我、縁起だ、空だとなるのではないですか。
この、妙なるもの説明しよとして、捉われている。ということかもしれません。
その説明しよとすると、枠の上にさらなる枠を重ねるというか・・

一心一切法 一切法一心

思いを手放す。思いを手放す。妙なるか、あらず、あらず・・


↓アニメを仏教的に解釈してみる

『自らこそが特別な存在である!』と妄信してる:我愛

(この我愛が依存してる)無明してる世界を手放して
智慧の世界から観察して
傷の治療をする
ttp://☆live☆door.blogimg.jp/ani☆bako/imgs/7/1/7191fcf7.jpg
ttp://☆live☆door.blogimg.jp/ani☆bako/imgs/5/b/5bf0cb2c.jpg
ttp://☆live☆door.blogimg.jp/ani☆bako/imgs/6/4/64781e43.jpg
ttp://☆ani☆bako.blog.jp/archives/2906291.html
  _  _  _

生きとし生けるものにも慈悲の光が現れますように
そして
敵味方の区別なく治療を行う
ttp://livedoor.blogimg.jp/guran2016_ms06/imgs/8/b/8ba8b0b2.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/guran2016_ms06/imgs/6/c/6c9aeae8.jpg
ttp://livedoor.blogimg.jp/guran2016_ms06/imgs/1/f/1fff0da7.jpg
ttp://gno.blog.jp/izumi/21601008.html

仮設としての
無明している世界の中で

「(輪廻の主体となる)魂のようなものがあるはずだ!」
というような想いを主体とした

> 主観がわで、説明しようとすると、魂だ、アートマンだ…

 − これを対処するために −

涅槃の世界から観察して

掴もうとしている
> 思いを手放す。思いを手放す

青目(ピンガラ) 中論 觀如來品 第二十二
無明している世界の中で
おじゃるには戯論が現れてる
すべて一切の諸法は空性である
 − これに対して −
涅槃の世界から観察して
如来は戯論を超えている
それゆえに
如来の滅後を
有るのか?無いのか?
こう思惟してはならない
(掴もうとして想ってはならない)

18seia@無断転載は禁止NGNG
スマナサーラ: 
その場合は「涅槃」「安らぎ」というのは何なのか、という。

それに対して、それは一旦、「涅槃」と言って終えば、大体仏教の世界でみんな思っているのは、死んでからなんとかなるものだ、と。

そういうものではなくて、ほんとに心で幸せを感じる。
今、心で心の安らぎを感じているか、と。

もっと平面的な言葉で言えば、「あなた笑いますか」という位の、「あなたは笑って生活出来ますか。
心に何の心配事はすべて消えているんですか」ということで、我々は必ず明るく見た方がいいんですね。

「涅槃」というものは。これは心の安らぎ。何の苦しみも悩みも何もないんだ、と。
大変幸せだ、という状態なんですね。

ですから、誰でもチャレンジした方がいいと思います。

「何で私達は苦しんでいるんですか」というところを考えなくちゃいけないんですね。
そこに出てくるのは、「心の問題、心の汚れ」というか、心は凄く汚れているんですね。
汚れのことを、我々は「貪瞋痴(とんじんち)」という、

思いを手放す。思いを手放す。妙なるか、あらず、あらず・・

> 「心の問題、心の汚れ」というか、心は凄く汚れているんですね
> 汚れのことを、我々は「貪瞋痴(とんじんち)」という

無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている:無明薫習

「心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている」とある
光り輝いているとは白紙のような状態と解される
本来清浄ではあるが、現実には汚れているという意味が含められている

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/07/18/061429
仏の智慧の世界から観察して
そして
通常、(地水火風に分解して滅して手放していく)
四界分別の観察から始めなければなりません

ttp://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/06/28/163259
無明してる世界すべて一切を
地水火風に分解して滅して手放して
密集を看破して
無我への領悟、了解が生まれる

ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
仏の智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます

↑これが『(仏の智慧)心は光り輝いている』ということかも  間違ってたら スマソ m(_ _)m

仮設としての
無明してる世界の中で
(単独で成立してる我は)存在しないにも関わらず
(単独で成立してる我が)有ると思う虚妄の執著である:遍計所執性

すべて一切の諸法は
縁起に依存してる仮和合(仮の現れ):依他起性

十牛図

仏の智慧の世界から観察して
色即是空で
地水火風に分解して
宇宙と一体化して、そして

滅に触れて
ついに童子は頂点に達した
ただ「空(くう)」となり、円が描かれているだけの無の世界

さらに無の世界も超えて、菩提心を起こして
空即是色で

円成実性で:本質の世界から → 現象してる世界を観察して
以前の世界に戻ってきた
童子は
分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている

↑唯識の円成実性について

21seia@無断転載は禁止NGNG
>仏の智慧の光は、体を包むようなかたちで、光が現れてきます
正直、このへんはわかりません。
坐禅はしてますが、思いを手放す。思いを手放す。ですし。
呼吸だけです。

先輩は無といいます。ないんだよと・・

見性事は捨てなさい、私の話はその場で忘れてください。と老師がいいます。
しっかり、憶えていますけどw


観察の実践したことないので↓本当なのか?わからないけど、とりあえず

見性(けんしょう)
本来そなわる根源的な本性を徹見するために
本来、煩悩に汚されることはなく
それ自体で清浄なものであり、この自性清浄心に気づくために
仏性に気づくために

(とりあえずは苦集滅道を目指して)
見仏性を目指して
そのために
呼吸の観察を切っ掛けにして
今この瞬間を切っ掛けにして
「想う!」という想いも手放し
「想わない!」という想いも手放し、そして
余念を交えず、ただひたすら只管打坐することが出来たら
そのときは
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
仏の智慧が体を包むようなかたちで光が現れてきます

ttp://www.onedhamma.com/?p=6084
仏の智慧の光について

『(見仏性)見性事は捨てなさい!』というような
余念を交えず、ただひたすら只管打坐は
無理なので↓おじゃるの場合は

呼吸の観察をして
今この瞬間を切っ掛けにして

仏の智慧の世界から観察して
色即是空で
どこかへ飛んでいってしまう心を集中対象である呼吸の観察に戻す:ヴィタッカ(尋)
そして、このヴィタッカ(尋)も手放していく

第一禅定から → 第四禅定まで
空無辺処から → 非想非非想まで
滅に触れて   → 想滅定:涅槃

この次の段階として
空即是色を観察していく

↑この説明の方が、わかりやすい(実践したことないけど…)

スッタニパータ 199
…その頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている
しかるに
おじゃるは
無明している世界の中で
(輪廻の主体となる)単独で成立してる
「魂のようなものがあるはずだ!」と掴もうとしてる想いが現れている スマソ m(_ _)m

24いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
>「魂のようなものがあるはずだ!」と掴もうとしてる想いが現れている
死ねば、わかるでしょう。死ぬまでわからないかもしれません。
楽しみにまてばよろしいかと。
わたしは、このようなスタンスです。

ちなみに、この世もあの世もあまり関心がありません。
できることなら、金をかけずに死にたいものです。

>金をかけずに死にたいものです

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
八正道の正見
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである

ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
仮設としての
縁起している☆依他起性としての
生じたもの、現れたもの、生起したもの
作られたもの、常住ではないもの、老いと死が積み重なったもの
迷妄を性質として壊滅するもの
食物を原因として生じるもの、そのようなものは楽しむに適さない

そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり、安楽である
縁起したものを離れることがある
ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが「苦しい!」と掴もうとしている想いの終わりである

26seia@無断転載は禁止NGNG
まぁ、自分の後始末ぐらい、できることはしなくては。と・・
これは、私の志向性ですね。

>自分の後始末ぐらい、できることはしなくては

色即是空から
非想非非想も超えて
想滅定も超えているのなら
色受想行識の色(肉体、物質)が滅しても

無為法の世界から
有為法の世界を観察することができるらしい
http://www.onedhamma.com/?p=5136
空即是色へ

無為法の世界を知覚して
無為法の世界に住むための

苦集滅道
そして
最終的には
無苦集滅道

28seia@無断転載は禁止NGNG
涅槃をどのように感じるのか、皆さん疑問に思うのでしょうね。
対象がないのに?どうやって、認識するのだ。と・・
全部みてませんが。
できれば、おじゃるさん、まとめてくださると助かります。全部見られないw

まとめ(原文そのまま)
ttp://www.onedhamma.com/?p=5136
魚川祐司氏
「無為法の世界から観察できるのか?」

 − これに対して −
山下良道氏
「無為法の世界から観察する」という不思議な現象が起きる
  _  _  _

因と縁の双方が相応一致して
『縁起したものがある』から → 『縁起したものを離れることがある』へ
そして、そのときに
『縁起したものを離れた世界からの観察』という不思議な現象が起きる
ということであるらしい
(おじゃるは実践したことないので本当なのか?わからないけど…)
ttp://www.tibethouse.jp/about/buddhism/37/index4.html
仏の智慧 − 法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智

たとえば
平等性智の世界から観察して
(我愛が依存してる)無明してる世界を手放して
色即是空から    → 空即是色へ
そして最終的には → 無苦集滅道として
分別することなく、移り行く世界の様をありのまま見つめている
と導いていく
ということであるらしい

(我愛が依存してる)無明してる世界を手放すことができているのなら
無明滅して → 行滅して → 識滅してる(手放してる)ので
たとえば
seia殿の色受想行識の
想行識は滅してる(手放してる)ので
seia殿の(無明に依存してる)識が認識するのではなくて
seia殿、本人が
光り輝いている仏の智慧の世界(そのもの)になっている

(通常の識は ← 無明に依存してるけど)
地水火風空:識
この場合の識は
大日如来の智(法界体性智)なので

掴もうとしている想いを手放すことができているのなら
seia殿、本人が法界体性智の世界(そのもの)になっている
seia殿の(無明に依存してる)識が認識するのではない
そのための
仏の智慧 − 法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智
ということであるらしい

無明してる世界すべて一切を
地水火風空:識に分解していく観察を実践してみないと
> 涅槃をどのように感じるのか?
は、わからないかもしれない

説明が間違ってるかもしれないので スマソ m(_ _)m

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
胸の奥や腹の底など
身体の中心部分にぼんやりと(おおまかに?幅広く?)意識を向けて
受容的な感覚で
何かの気がかりにまつわる感じを(善悪の判断をしないで)受容していく(フェルト・センス)
  _  _  _

妙観察智の世界から観察して
呼吸を観察して
今この瞬間を切っ掛けにして

平等性智の世界から観察して
(第七識が依存してる)無明してる世界を手放して

大円鏡智の世界から観察して
(苦集滅道への障害(覆)がない無覆無記
  この第八識が依存してる)無明してる世界を手放して

法界体性智の世界から観察して
第八識(第七識よりも深い識)が転じて大円鏡智へ
第七識(第六識よりも深い識)が転じて平等性智へ
第六意識(表面意識)が転じて妙観察智へ

智慧をもって
腹の底など身体の中心部分にぼんやりと
何かの気がかりにまつわる感じを受容(フェルト・センス)して、そして
大円鏡智の世界へ

↑このフェルト・センスの観察が重要であるらしい  たぶん間違ってると思うので スマソ m(_ _)m

32seia@無断転載は禁止NGNG
仕事の休憩中に外を眺めてたんです。
すると、あれ、見るもの見られるもの境がないことに気が付いた、気が付いたたときは、主観でしょうね。
ただ、気が付いた。気が付くだけなら、それなりにあります。たまたま、見るものだった。

気づきとは、どのようなプロセスなのだろうね。
夢が覚めるときの、プロセスに似ているのだろうか?そのプロセスを理解してません・・わたしです!

33いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
大乗非仏説は、誰が誰だかわからん・・
みなさん、知識豊富な方ばかしで、ついていけません。

私の文章の反応がないんだよなぁ。叩かれると思っただが・・


ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
たとえば
おじゃるの場合は

仮設としての
無明してる世界の中で
「(輪廻の主体となる)我はある!」という想いに依存して
「(輪廻の主体となる)主観がある!」という想いが現れている

有相唯識(中観自立)
無明してる人が
誰も気づいていないときでも山火事が起きるので
仮設としての「たとえば仮に火の自性あり!」とする

 − これに対して −

無相唯識(中観帰謬)
仮設としての
無明してる世界の中で
「(輪廻の主体となる)自性がある!」とか
「(輪廻の主体となる)主観がある!」などと妄想して分別している

これを対処するために
仏の智慧をもって
「(輪廻の主体となる)主観がある!」という妄想を手放して
そして
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.anapana.htm
体を包むようなかたちで
光り輝いている仏の智慧が現れてきます

35seia@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんのいいまわしだと、主観を手放す、でいいのかな?
すると、山は山でなくなるのでは・・

36seia@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんのいいまわしだと、主観を手放す、でいいのかな?
すると、山は山でなくなるのでは・・

おじゃるの意訳憑き

745 seia ID:0YHCvRCy
自分が納得しないから、修行し、経典をよむのです

スッタニパータ 21
わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して
すでに渡りおわり、彼岸に到着している
もはや筏の必要はない

そして最終的には
仏教そのものが、いらないとなります
体験だ、知識だ、も必要なくなります

781 それいけ!アンポンタン♪ ID:/iGJdQ5B
自分を見失って『個』の世界観丸出しで『流動』の世界観を語ると同じ様になります…
(この場合は
  「無明に依存している我を主体として
  縁起してる世界を掴もうとしている想いが現れている」という意味)

自分の経験?や知恵が仏教経典に対し何処まで理解ができ…
(ちなみに、この場合は「無明に依存してる(個人の我としての)知恵」という意味
  通常の仏教用語の場合は「(個人の我ではない)仏の世界の智慧」)

767 ID:0YHCvRCy
771 ID:qbDIDH3H
主観的になる事が重要だと言うが
それは「存在の0ポイント(非想非非想も超えて → 想滅定の)」体験を前提にしてる


仮設としての
無明してる世界の中で
無明に依存して
我を主体として「山がある!」と掴もうとしている想いが現れる

これを対処するために
仏の智慧をもって
存在の0ポイント(非想非非想も超えて → 想滅定)の世界を知覚して
存在の0ポイント(非想非非想も超えて → 想滅定)の世界から観察して、そして
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
十牛図

無の世界も超えて、童子は菩提心を起こして
色即是空から → 空即是色で
以前の世界に戻ってきて
八正道の正見をもって、移り行く世界の様をありのまま見つめている
  _  _  _

仏の智慧の世界には
色受想行識の想行識が滅して、そして手放しているので
それゆえに
無明に依存して「山がある!」という想いと
仏の智慧の世界から観察してる「山は違うものである」。という意味でつ


世俗諦から → 勝義諦へ

この二つの真実の間に引かれた区分を理解しない者は
ブッダの深遠なる真実をも理解しないであろう

現象的真実の中に存する根拠なしに
究極なるものの重要性は説き得ない
究極なるものの重要性を理解することなしに
解脱(涅槃)は達成され得ない

無明してる世界の中で
縁起したものがある世界から「(妄想しながら)山を見てるとき」と

無明してる世界を手放して
縁起したものを離れた世界から
「(妄想を手放してから)山を観察してるとき」は違うので、それゆえに

中観帰謬派の場合は
無明してる世界すべて一切を
地水火風空:識に分解していくので
それゆえに

>山は山でなくなる

ということであるらしい


仏教とは関係ないけど、とりあえず台風情報

ttps://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/typhoon/

台風5号
2017年7月21日16時30分発表

台風6号
2017年7月21日16時30分発表

次の台風情報は
22日10時30分の予定です


集中豪雨とか
床上浸水とかに気をつけましょう

41いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
>それは「存在の0ポイント(非想非非想も超えて → 想滅定の)」体験を前提にしてる
確かに。


〇〔仏教〕、〔体験〕、〔知識〕の『個』の世界観も、『流動』の世界観で解釈すると必要性は気にならなくなるんですけど…
縮めれば、無常を理解すれば、我の必要性は気にならないと?

確かにそうでしょうね。私がそう思っているだけですから。

でも、その辺が修証なのでしょう。

山は山

42seia@無断転載は禁止NGNG
どうしても、即非の 非にいっちゃんだよね。

43いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
あらず、あらず、ゆえに現成しているでのしょう。

現成しているがゆえに無であり、無であるがゆえに現成している。
現生していることも無なのか?
この辺が、中国、インド、日本の解釈の違いのように感じる。地域性というものかもしれない。

常 - 涅槃 - (無明を手放して、そして)死ぬことも、生まれることもない
楽 - 涅槃 - (「苦しい!」という想いが依存してる)無明を手放している
我 - 涅槃 - (「我がある!」という想いが依存してる)無明を手放している如来(仏性)
浄 - 涅槃 - (我愛が依存してる無明を手放して)煩悩を離れた世界

この場合の我は
無明に依存してる我ではなくて
無明を手放している、仏の智慧のこと

通常の仏教用語の我は
無明に依存してる我という意味

仮設としての
無明の暗闇に覆われて
「我の必要性が気になる!」という想いに依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執が現れる

 − これを対処するために −
光り輝いている仏の智慧に照らされて
無明の暗闇が滅していく

中観帰謬の場合は
(無明に依存してる)我ではない
(無明に依存してる)主観ではない

それゆえに
智慧をもって
仏の世界から観察していく

という意味であるらしい

たとえば、大乗の場合は
「我は浄である、我は如来である」というような説明をするので
その結果として
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%8B%90%E7%A6%85
野狐禅
徒に未証已証(いまだ証していないのに既に証覚を得た)という
独り善がりの大我禅者をいう。いわゆる魔禅の1つ
「空」の無相の境涯に捉われて、真に妙有・妙用の境地に達しないのに
自ら覚り終ったとする独り善がりの増上慢の禅をたとえて言ったもの

たとえば
机先生とかは
「無我なので、観(仏の智慧)も必要ない!」という野狐禅になっていた

これと同じように
「我の必要性が気になる!」という
想いが野狐禅になる場合もあるかもしれない

 − これを対処するために −
中観帰謬の
(無明に依存してる)我ではない
(無明に依存してる)主観ではない

無明してる世界すべて一切を
地水火風空:識に分解していく観察をする

ということであるらしい


実在する人物だったのか?わからないけど、とりあえず

釈迦が存命してるときでも
提婆達多(だいばだった)のようなものがいたらしいので
それゆえに

大乗のみならず
テーラワーダ、上座でも

仮設としての
無明に依存して
我癡・我見・我慢・我愛に依存して
苦集滅道への障害(覆)がある有覆無記の第七識に依存して
独り善がりの増上慢の禅
すなわち
野狐禅になる場合もあるかもしれないけど、それでも

テーラワーダ、上座の
苦集滅道
釈迦が入出息念(アーナーパーナ・サティ)について説いている
パーリ仏典『出入息念経』
第一禅定から → 第四禅まで

という説明の方が、わかりやすい(実践したことないけど… スマソ m(_ _)m )

47saia@無断転載は禁止NGNG
非に接点を置くのは、インド仏教かもね。即に接点を置くのは、中国仏教とか?
インドも後半は非におきすぎたから、戻りすぎちゃったじゃないか。

本当にないのか?中国人は、悩んじゃないか、当時は、でも、即に視点をおけば、
双方におもむかなくて済む。
実際、主客未分を主観でしかわかりようもなく、その主観を結局どうするかだからね。

無明に依存している
> 主観でしかわかりようもなく
と掴もうとしている想いを手放すために

過去への想いも手放して
未来への想いも手放して
今この瞬間を切っ掛けにして

智慧をもって
(「主観がある!」という想いが依存している)無明している世界を手放していく

ttp://junsoyo.on.coocan.jp/zen/jitubutu/jitubutu_2.htm
内山興正  思い手放し
…ところが今
(今この瞬間を切っ掛けにして
  仏の智慧をもって)
何かをつかもうとする
「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって,何ものをもつかまないでいることです
すなわち思いの手放しです。実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
  _  _  _

仏の智慧をもって
(「主観である!」という想いが依存している)無明している世界を手放して
そして
仏の世界から観察する
という意味でつ


ttp://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
内山興正
…もし「諸法無我」を客観的真理のコトバとするならば
輪廻転生を荷う主体がなくなり
(前世からの)因縁果報の教えも無意味となってしまいます
それゆえに、有部の『倶舎論』などでは
(前世からの心の流れ:心相続とかの)業感縁起を説きます
(たとえば有相唯識とかの)唯識系統では
阿頼耶識を説くことにより
われわれ日常行為の説明も
(仏の説明も)する心理学を展開しています
そういうつもりで唯識教学などを勉強すると
われわれの実際修業(只管打坐?)における
日常生活の心構えにも大いに役立つと思います
  _  _  _

ちなみに
有相唯識から → 無相唯識へ
そして
最終的には阿頼耶識も 『 空性である 』 と観察していく
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って
無明している世界すべて一切を 『 空性である 』 と観察せよ

たとえば
道元とか曹洞宗とか臨済宗とか
興味がないので
(理解できないので)

上座部とかの
苦集滅道への導きの方が、わかりやすいので

それゆえに
おじゃるの場合は

無明してる世界の中で
縁起したものがある世界から「(妄想しながら)山を見てるとき」と

無明してる世界を手放して
縁起したものを離れた世界から
「(妄想を手放してから)山を観察してるとき」は違うので、それゆえに

> 山は山
という導きよりも

> 山は山でなくなる
という導きの方が、わかりやすい

山が違うという意味ではなくて
第七識に依存して(妄想しながら)山を見ているのか?
仏の智慧をもって『山がある』のか?
が違うという意味でつ

たとえば
823 ID:Yv7Ne/O9殿の導きとして
仮設としての
無明に依存している

煩悩あるがままで
「煩悩がある、そのままで仏である!」と勘違いしている人が多い
(独り善がりの増上慢の野狐禅の人が多い)

無明に依存している
自我のままで
主観をもって「山は山である!」と掴もうとしている想いが現れている

ということを、ID:Yv7Ne/O9殿は導いているのだと思いまつ

 − これを対処するために −
ttp://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf
ゲシェ・チェカワ『七事の心の訓練法』
仮設としての
無明している世界の中で
「主観である!」という想い依存して
自らが
夢幻を作り出している幻術師のようなものである

それゆえに
(道の本体は阿頼耶の自性に置いて?)
無明している世界の中の、すべて一切の諸法は

仏の智慧をもって
地水火風空:識に分解して、夢幻の如しと観察せよ

52seia@無断転載は禁止NGNG
>夢幻を作り出している幻術師のようなものである
でも、おじゃるさんも、その幻術の中でさまよっていると。
きっと冷めます。
さめて非相 きがつけば、諸相
これなら、どうですか?

53いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
では、神輿を担ぎに行きますので、のちほど・・


おじゃるの場合は
仮設としての
無始からの(輪廻を繰り返して)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている:無明薫習
無明に縁りて → 行に縁りて → 識 … 渇愛 … 生老死 … 輪廻を繰り返して …

この無明している世界を手放すために
仏の智慧をもって
過去への想いも手放して
未来への想いも手放して
(呼吸を観察して)
今この瞬間を切っ掛けにして

仏の智慧をもって
(我愛が依存している)無明している世界を手放していく

無明に依存している「知恵:知識:教養:応用力:柔軟性とか」ではなくて
無明している世界を手放していくための 『 仏の智慧が必要である 』

たぶん、この辺のところが禅宗とかとは違うのかもしれない
禅宗の場合は
「無明している我も ← そのまま仏である!」みたいな感じなのかしらん?  m(_ _)m


ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81

密教(真言宗?)においては
仏の智慧:慈悲を
衆生が瀉瓶して受け入れて

仏の智慧:慈悲と
衆生の
双方が相応一致することで
成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
  _  _  _

たぶん、この辺のところが禅宗とかとは違うのかもしれない?

禅宗とかの場合は
仏の智慧:慈悲を前提としないで
(無明に依存している)主観を前提として
余念を交えず、ただひたすら只管打坐するのかしらん?

というわけで
生きとし生けるものにも
光り輝いている仏の智慧:慈悲が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ  m(_ _)m

56いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
大乗非仏説において、
852それいけ!アンポンタン♪サンに突っ込まれましたね。
彼の意見は、おじゃるさんのに似ていますか?

私の趣旨もまとめてありますので読んでください。

57seia@無断転載は禁止NGNG
>慈悲を前提としないで
これは、意に添いかねますね。

菩提心とは、自他の心なり。これが基準です。これがなければ、野孤です。
また、無執着、無分別、無功徳ならば、おのずと回向する。
ひらたくいえば、非想非非想で、慈悲をしなさい、また、高めなさいということだと思う。

58いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
主観側でいえば、高める。

59seia@無断転載は禁止NGNG
もっとわかりやすく言うと、どうだろう。
自転車を乗るように、慈悲をしなさいかな・・

852 それいけ!アンポンタン♪ ID:spDo6+2q

たとえば、おじゃるの場合は
教学として、仏の智慧を勉強しても
実際に 『 仏の智慧を知覚して住む 』 という観察の実践をしたことがないので個の世界観?

個の世界観:遍計所執性
(仏の智慧を知覚することなく:単独で成立している我は)存在しないにも関わらず
(仏の智慧を知覚することなく:単独で成立している我が)有ると思う虚妄の執著である

流動の世界観:依他起性
法界体性智と、衆生の双方が相応一致して、縁起している
(単独で成立しているのではない)
それゆえに
この世界すべて一切も、色受想行識も(色受想行識の識は無明)
地水火風空:識も循環している(地水火風空:識の識は法界体性智)

…さらに無の世界も超えて
菩提心を起こして元の世界に戻ってきて、移り行く世界の様を
法界体性智をもって、ありのまま見つめている:円成実性

アンポン殿の場合は
『山は山です』と固定するかのような表現をしてしまった事に理解出来ます
(おじゃるの場合は 『 山は山でなくなる 』 で理解出来まつ スマソ m(_ _)m )

スッタニパータ
1026
無明が頭であると知れ
−これを対処するために−
光り輝いている仏の智慧が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭(無明)を裂け落とさせるものである

1119
つねによく気をつけて、自我に固執する見解をうち破って
無明している世界すべて一切を 『(夢幻のような)空性である 』 と観察せよ

21
師は答えた
わが筏(苦集滅道)はすでに組まれて、よくつくられていたが
激流を克服して、すでに渡りおわり
彼岸に到着している
もはや筏(苦集滅道)の必要はない

『縁起したものがある』から → 『縁起したものを離れることがある』へ

縁起したものを離れて、そして
(無明している世界の中で)
想うことでもなく
想わないことでもなく
『来ることも、行くことも、死ぬことも、生まれることも』説かない
現れてくることもなく:滅していくこともない
縁起したものを離れているのなら、それは
853 seia殿
> 無明が現れてくることもなく:無明が滅していくこともない


857 パーピマン殿 ID:s0tePPPI
信者から身内の死について相談された時に、無常を説いて心を和らげてやれるのはまさに出家者
  _  _  _

(無常の説明として)
縁起しているので
この世界すべて一切を(色受想行識の仮和合も)
仏の智慧をもって
『地水火風空:識に分解していく』と観察をする
という説明をしても

たとえば、2chとかの仏教関係の掲示板に書き込んでいる人の場合は

(勝義諦の立場から?)
縁起はない
心の働きもない
止(シャマタ禅定)とか観(ヴィパシヤナ智慧)とかの実践の必要もない
余念を交えず、ただひたすら只管打坐の必要もない

とか逝っちゃている、机先生のような野狐禅の
(縁起:無常の意味を理解できない)人が多いような気がする

そして
「主観は、そのまま仏の智慧なのである。それゆえに、主観しかありえないのだ!」
と勘違いしている、seia殿も、机先生のような野狐禅の人になっているような感じがする

道元?とか禅宗?って流行っているのかしらん?

ちなみに、おじゃるは、有相唯識?チベット密教?が良いでつ  スマソ m(_ _)m


ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%80%A7%E6%B8%85%E6%B5%84
心は光り輝いている:外来のもろもろの煩悩によって汚れている
本来清浄ではある :現実には汚れている

たとえば
無明に依存して
「どこまで行っても主観しかありえないのだ!」と掴もうとしている想いが現れている

(仏の智慧を知覚することなく
  単独で成立している主観は)存在しないにも関わらず
(仏の智慧を知覚することなく
  単独で成立している主観が)有ると思う虚妄の執著である:遍計所執性

 − これを対処するために −

無明している世界すべて一切を(色受想行識の仮和合も)
仏の智慧をもって
地水火風空:識に分解して

無明している世界すべて一切を(色受想行識の仮和合も)滅して
(地水火風の密集を看破して、無我への領悟、了解が生まれて、そして)
『我ではない』
『(我に依存している)主観ではない』と知覚する

『地水火風の密集を看破するための実践が必要である』という意味でつ
(おじゃるは実践したことないけど… スマソ m(_ _)m )

(色受想行識の識は無明)
(地水火風空:識の識は法界体性智)


ひとつのレスに、まとめることのできない因縁果殿?
おじゃるの意訳憑き
863〜873 因縁果 ◆d........o ID:XmZ5L5uL

全ての煩悩は我に対する執着から生じる
「主観である!」と掴もうとしている想いが現れている

変化しているものが我であるわけない
無常であり:我ではない

それ自体、単独で成立しているのではない
それゆえに
(それ自体、単独で成立している)主観ではない

法界体性智と:衆生の双方が相応一致して縁起して
変化して、現れ滅している

それ自体、単独としての自性で成立しているのではない
不変的な実体:本質ではない

(主観:執着が依存している)無明している世界を手放して解脱せよ
そして、有余涅槃から → 無余涅槃へ

(妄想温泉?)温泉瞑想に逝くしかないか?

逝って良し〜♪ スマソ m(_ _)m

65seia@無断転載は禁止NGNG
>>主観は、そのまま仏の智慧なのである。それゆえに、主観しかありえないのだ!
わたし、こんなことは言ってませんですw

*主客未分が「存在の0ポイント」かといいますと、早い話いつもそうなのです。 ただ、気づくのです。

◎すると主観の世界では、常に0ポイントにするにはどうすればいいのか?
 余計なことは考えない。山は山ですので。一切法一心 一心一切法

どこまで行っても主観しかありえないのだとおもいます。
境を離れた世界を垣間見たからと言っても、それを知るのはやはり主観。

主客未分という言葉を、わたしは客観と言っています。確かに、見るもの主観であり、見られるものは客観であります。
その主客未分なったとき、それを知るのもまた主観だと思います。

*つまり、言葉の枠をさらなる枠で、はめなおすといいますか。

結局、仏道を習うということは、菩提心と共に、あらわれる。

◎菩提心とは、自利利他の心であり、基礎である。それがなければ、野孤である。

慈悲が、何も考えずとも、自転車がこげるように、精進努力することである。

主観も、客観も共にこころであり、つまり、言葉の枠をさらなる枠で、はめなおすといいますか。
でも、結局は、主観でしかわかりようがない。


マインドフルネスから非思量にどう繋がるのか?

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング
無明している世界を手放して
仏の智慧をもって
『息を吸う:息を吐く』がある
今この瞬間を切っ掛けにして
まず胸の奥や腹の底など
身体の中心部分にぼんやりと注意を向けながら
何かの気がかりにまつわること
(フェルト・センス)が感じられるのを、受容的な態度で待つ
(第六意識よりも深い第七識:第八識からの想いのこと?)

ttp://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス
今この瞬間を切っ掛けにして
何か雑念が出てきたことに気づいても
その辺りに漂わせておくようにして
自然に消えていくのを見届けます

ttps://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E6%80%9D%E9%87%8F-610120
非思量(ひしりょう)
今この瞬間を切っ掛けにして
仏の智慧の世界を知覚して
仏の智慧の世界に住む

(主観している世界に住むことではない!)

67seia@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんは、たぶん非相を理想化しすぎているきらいがあると思うのですが・・

68seia@無断転載は禁止NGNG
>(主観している世界に住むことではない!)
またまた、私の言っていることと、違いますです・・

言葉の枠をさらなる枠で、はめなおすといいますか。

主客未分が「存在の0ポイント」かといいますと、早い話いつもそうなのです。

69seia@無断転載は禁止NGNG
パーピマンさんの解説。
さて、仏教における「無我」というのは、一体、何なのか?
まず最初に理解しておかなければならないことは、これは一つの
「特殊な視座、視点」であるということである。

例えば、ここに「Aさん」という人がいたとする。
一般的に言えば、この人は「Aさんという『人』」である。
もう少し厳密にいえば、「Aという名前の人間」である。
通常、我々はこのように認識する。
そして、そのことについて何ら疑問を感じない。勿論、それはそれで
何らおかしいところはなく、「世俗的認識」としては十分である。

非相?=実相?無相?

(おじゃるは、ねこ並みの脳ミソなので)
意味がわかりゃん
禅宗の言葉を使うの、やめてくれないかなゃ〜 =^・ ・^=?ねこ

唯識なら、わかる場合もあるかも

瑜伽(ヨーガ)の実践の中に唯識の体験を得て教理にまとめ
とりあえず心(識)は仮設として存在すると考えて
深層意識の第八識が
自分の意識も
外界にあると認識されるものも
生み出していると考えて

最終的には
第八識もまた空であるとする

中観自立派
無明している世界の中で
私たちの常識的な考え方に近い立場で
「我がある!」ということを前提として、「主観もある!」ということを
自相(自性)のようなものとして認める
それゆえに
おじゃるも、seia殿も、中観自立派である

中観帰謬派ではない
(それゆえに「自分は中観帰謬派だ!」とか勘違いしない方がよいかも)

めでたし♪めでたし♪ =^・ ・^=?ねこ(おじゃるは、ねこ並みの脳ミソ)

71seia@無断転載は禁止NGNG
>(おじゃるは、ねこ並みの脳ミソなので)
おじゃるさんのほうが、高等です。わたしは、カエルですのでw
>禅宗の言葉を使うの、やめてくれないかなゃ〜 =^・ ・^=?ねこ
この辺は、お互いさまですピィヨン・・
>非相?=実相?無相?
わかりませんw

非相は、わかるでしょ。金剛教なのですから。

主客未分は、これは気づきますよ。おじゃるさんでも。そのように思考し、
それを忘れたとき、気づくものだとおもいます。
何かに夢中になり、休んで景色を眺めて、ボーとしているときとか。わたしは、坐禅をして気付いたということはありません。ここだけの話w
本当に、見るもの見られものの境がなくなります。あれ、どちらがどちらだっけと主観で、考えちゃんですw
言葉で、説明するのは難しいですけどね。
あと必死こいているときとか。

なんちゃって覚者は、おじゃるさんがいうとおりでしょうね。
だからこそ、道元は注意をうながしているんです。
また、あえて悪いことばをいって、自分に帰ってい来るその言葉を、どのように対処するか、それも修行なのかもね。
無自覚でやっている人もいるみたいですが。

この辺はおじゃるさん、勘違いしないでしないでください。

これも私が思っていることです・・

72いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんでも、これは配慮のないことばでした。ごめんなさい。
おじゃるさんも、です・・

73いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
>非相?=実相?無相?
なんか、この辺は、面倒ですよねw
わたしは、同じだと思いますよ。だって、非相に名詞をつけたのが、相でしょ。
であれば、非相は実相じゃないですか。

一応↓ウィキペディア参照

空(仏教)

『中論』は
勝義諦(真諦)と世俗諦(俗諦)いう2種の真理があるとする二諦説を述べる
前者は直接認識された非相対的な世界であり…

おじゃる意訳
この場合は
中観自立ではなくて

中観帰謬なので
それゆえに
「主観が、直接認識した非相対的な世界」という意味ではなくて
『仏の智慧をもって、直接認識された非相対的な世界であり』という意味でつ

中観自立の場合は
おじゃるも、seia殿も、主観を前提としている

−これに対して−
中観帰謬の場合は
無明滅 → 行滅 → 識滅
無明滅 → 我愛滅 → 主観滅

中観自立と中観帰謬では世界(世界観)がまったく違うという意味でつ

これで 『 中観自立の立場と:中観帰謬の立場の違い 』 が、わかったかしらん?

75seia@無断転載は禁止NGNG
>「主観が、直接認識した非相対的な世界」という意味ではなくて
>『仏の智慧をもって、直接認識された非相対的な世界であり』という意味でつ

合っていると思います。
仏の智慧をもって、直接認識された非相対的な世界であり、ですから。
主観が、認識したわけでは、ありませんから、あとから、気が付くのですから。

76seia@無断転載は禁止NGNG
>考えてもいないし誰も知れないわな
いい例題がありますね。これは、中観自立派か中観帰謬派か?


何の話してんのか、さっぱりわかりゃん

仏教の話してんのかしらん?

918 ID:9S70Qyr9
支店長、頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶ

924 seia殿
>支店長、頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶ
かれですか、そんなこと考えてもいませんよ
そういうのを、思い過ごしというのでしょうね
頑張ってください

925 ID:9S70Qyr9
>かれですか、そんなこと考えてもいませんよ
考えてもいないし誰も知れないわなw支店長本人すらな

78seia@無断転載は禁止NGNG
彼は、非相の話をしているのです。
>考えてもいないし誰も知れないわな という言葉を言うのです。

0ポイントというやつですね。

でも結局、話をすれば、主観になってしまうのです。
考えてもいないし誰も知れないわな
こういう思考だと、はた目からだと、野孤に感じる。

わたしは、客観を見たからと言っても、そこに0ポイントにもっていくのは、主観側でも同じだろうというわけです。

79いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
かれは、それを振り回している。知った方には、用なしと言いながら。
振り回していることに気がづかない。

と感じる。

80いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
だからこそ、わたしが、コテハンになったら途端に、批判に転じている。

単純なもんですよ、こういうのは・・

81いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんにあてた、大乗非仏説のレスは、ある意味事実を語っています。

高齢で手術するために、麻酔をうったり、背骨をを骨折して、長い間寝ていると、
夢と現実の境を無くなります。事実です。

おやじと、おふくろがそうです。親父は、亡くなったけど、そのときもすごかったです。
冷めるまで、何日かかっただろう。
おふくろも、一時ねたきりになって、冷めるまで、時間がかかった、すぐにもどったが、
あせりました。ボケられたら、実際たいへんですからね。あんななこといえませんよ。


929 ID:9S70Qyr9
…世間で覚えた価値判断交えず…

実際に、ID:9S70Qyr9殿が
中観帰謬派の立場として
仏の智慧をもって観察してるのか?は、わからないけど
それでも、とりあえずは
たぶん本人の自覚は、ないのかもしれないけど
中観帰謬派の立場で
書き込みしてるのかもしれない

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
仮設としての
第七識が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である第八識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けている

それゆえに
おじゃるの場合は
寝てるときも妄想してるので
「世間で覚えた価値判断交えず
  余念を交えず、ただひたすら只管打坐」は無理でつ

それゆえに
『 仏の智慧が必要である 』 という意味でつ
この説明なら、わかるかもしれない


>長い間寝ていると、夢と現実の境を無くなります

おじゃるの場合は
若いときから
すでに頭がボケているので
いまでも
夢幻なのか?起きているのか?わからないでつ

たとえば
小学四年生の頃に
落武者の霊を見たときも
幻覚ではなくて
実際に、そこに「落武者の霊が居たのだ!」
と掴もうとしている想いが現れているのでつ

そして更に、輪廻肯定派でつ  スマソ m(_ _)m

ttp://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/otherworld/samsara.htm
シパ・バルドゥ 再生へ向かう迷いの中有(死んだ後の、幽霊の状態のこと)

84いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
でも、知った方には用なしとも言っているから、だから、好き勝手やってもいいとはならないからこそ、
主観側での対処が必要なわけで。つねに、0ポイント・・

85いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
おじゃるさんは、禅宗に拒否反応があるのは、そういところですかね。
そうしたら、釈迦の自説なるものがあるとしたら、それとも違うし、
中観派でもないような。
密教とか古神道なんかも合うかもね。古神道があうかも。古神道しらないけど・・
おもしろそうだね。

86いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
先進国で、アニミズムと共存しているのは、日本だけだからね。
アニミズムは、勉強したいね。

>主観側での対処が必要なわけで

ひょっとして↓これのこと
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
十牛図

ついに童子は修行の頂点に達した
ただ「空(くう)」となり、円が描かれているだけの無の世界

さらに無の世界も超えて
菩提心を起こして元の世界に戻ってきた
移り行く世界の様を
仏の智慧をもって、ありのまま見つめている

一応
中観自立は主観あり

中観帰謬は
仏の智慧をもって
無明滅 → 我愛滅 → 主観滅
仏の智慧をもって
元の世界に戻ってきた(『主観ではない』という意味でつ)

ちなみに
おじゃるも、seia殿も、「中観自立の主観あり!」でよいと思いまつ

88seia@無断転載は禁止NGNG

さらに無の世界を超えると、童子は元の世界、すなわち菩提心を起こし修行する以前の世界に戻ってきた。
童子は計らいのない、分別のない心で、移り行く世界の様をありのまま見つめている。
そこでは、ただ川が流れ、花が咲き、鳥が鳴き、雨が降り、風が吹き、生死があり、そして人の営みがあった。
「柳は緑、花は紅」

>さらに無の世界も超えて
>菩提心を起こして元の世界に戻ってきた
>移り行く世界の様を
>仏の智慧をもって、ありのまま見つめている

おじゃるさんの、意訳ですか?少々違うと思います。
>菩提心を起こして元の世界に戻ってきた
菩提心の起こす前の世界に戻ってきた。

さらに無の世界も超えて
菩提心の起こす前の世界に戻ってきた。
移り行く世界の様を
仏の智慧をもって、ありのまま見つめている

この仏の知恵というのは、
今思っただが、仏そのものではないような。仏の主観を知った、そのものの考えで、この世を見ることができるようになった。
また、主観側は、仏と同じような行為がおのずとできるようになった。

89いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
基準は、主客未分で。
主観と客観をどのように配置するかで、物の見方が変わる。
行為は、常に主客未分に当てはめる。

難しいな。余計なこと考えてしまったかも・・

主客未分が、主観にも客観にもなりうる。

>主客未分が、主観にも客観にもなりうる。
これ間違いかも。

主客未分であるときは仏側であるため、そのものである。
主客未分から離れて、仏側の知を知った衆生は。その知によって、この世を見ることができるようになった。
また、衆生は、仏と同じような行為がおのずとできるようになった。

中観自立 中観帰謬は 少し調べます。

91seia@無断転載は禁止NGNG
あれ、下げになっている・・

92seia@無断転載は禁止NGNG
相をかたる人に対して、
非相を語り、
そして、相と非相の事を表す。センスでたたく、パッチン!

さらに、知った方には用なしですと語る。
そして、相を語る。
頭抱えてるだろうなw眼に浮かぶw
これは思ったこと言っただけw絶対そうだわwお前さんトロいものw
と人を批評する。
いつの間にか0ポイントを忘れている。

アホだね・・


ttp://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット ゲルク派

中観自立
「火を火たらしめている本質的な要素は
  熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

誰も気づかず
誰も「火だ」と(無明に依存して、妄想して)分別していなくても
山火事が発生することはあるでしょう

それゆえに
『仮設としての』という意味で
火の自相(自性)はあるでしょ?

 − これに対して −

中観帰謬
(無明に依存して、妄想して)分別して、「その火が…!」と妄想している
中観自立の言う「誰も気づいていない山火事」も
いま我らによって(無明に依存して、妄想して)分別している

「自相(自性)である!」と掴もうとしている想いも手放していく
「自相(自性)ではない!」と掴もうとしている想いも手放していく

94seia@無断転載は禁止NGNG
>>92
おじゃるさん、上記の場合、何派になるのでしょうか?
よろしきお願いします。

会心の出来だと思うのですが、いかかでしょうか・・

たとえば仮に、その人が
「seia殿を批評してやるぞ!」と
掴もうとしている想いが現れていたのなら
無明 → 我愛 → 「批評してやるぞ!」という想い
で、とりあえず中観自立かもしれない

 − これに対して −
中観帰謬
「想う!」と掴もうとしている想いも手放して
「想わない!」と掴もうとしている想いも手放して
非想非非想も超えて
そして
滅に触れて想滅定が生起して
『 存在の 0 ポイント 』 を知覚して
そして
さらに無の世界も超えて、菩提心を起こして
元の世界に戻ってきて、移り行く世界の様を
平等性智をもって、ありのまま見つめている

生きとし生けるものにも
光り輝いている仏の慈悲が現れますように

一切の如来の御足を礼拝し奉る
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ  m(_ _)m

96いやあ名無しってほんとにいいもんですね@無断転載は禁止NGNG
たんなる、野孤です。

>たんなる、野孤です ← 了解でつ

また、これからも変な人に絡まれないように
基本的には野狐禅とか「勝義諦だけである!」という人が多いので
(仏の智慧:慈悲をもって気づくこと)気をつけてくださいまし  m(_ _)m
  _  _  _

↓阿弥陀仏?について

ttps://☆mat☆ome.na☆ver.jp/odai/2141839213021020701
今、現在では、僧侶も結婚できるらしいので

たとえば、仮に
浄土真宗の僧侶が男性であった場合は
阿弥陀仏からの智慧:慈悲をもって
(自らの行いが依存している)無明している世界を手放して

女性の方から「私と結婚してもらえませんか?」というような

阿弥陀仏からの智慧:慈悲の
男女の縁起の双方が相応一致すれば妻帯も良し
ということであるらしい

ここで重要なことは
阿弥陀仏からの智慧:慈悲をもって
(我愛が依存している)無明している世界を手放すことができるのか?
ということが重要なところであるらしい

↓仏教とは関係ないけど、とりあえず

ウィキペディア参照

ツンデレ
元々はギャルゲーの登場キャラクターの形容に用いられる用語であったが
2005年頃からは一般の人々の間でも使われるようになった
普段はツンと澄ました態度を取るが
ある条件下では特定の人物に対しデレデレといちゃつく
好意を持った人物に対し
デレッとした態度を取らないように自らを律し、ツンとした態度で接する

今回はツンデレ?キャラ特集

ストライクウィッチ  ぺりいぬ
ttps://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81mBnghBwuL._SL1135_.jpg
ttps://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81-ii-G3AUL._SL1500_.jpg

リトルウィッチ  ダイアナ
ttp://livedoor.blogimg.jp/guran2016_ms06/imgs/7/0/701e13c6.jpg

ひなろじ  やよい
ttp://pbs.twimg.com/media/DEx994aV0AABhLN.jpg

アクションヒロイン  かのん
ttp://livedoor.4.blogimg.jp/anico_bin/imgs/2/6/26075009.jpg

神撃のバハムート  リタ
ttps://pbs.twimg.com/media/DFRqo2YV0AAqvsM.jpg

99seia@無断転載は禁止NGNG
>また、これからも変な人に絡まれないように
どうなるんでしょうね。

おじゃるさんは、わたしが、右も左もわからにころ、親切に教えてもらいました。
今は、少々生意気になりましたw

いろいろな出会いがあり別れがありました。悲しくもあり、楽しくもあり、それはそれで面白かったです。
人は実際合わないとわからないものです。これは言えます。

わたしに突っかかってきた、彼も実際あわないとわからないでしょうね。

おもしろいのは、初心のときが一番面白いような。

私は、小6の春休み、何か夢中にやっていたんです。
そうしたら、突然あきましてね。何か悟った気がしましたわw
物事はあきるものなのだと、知って、あきるのなら、最初からやらなければいいじゃない何て思ったものです。
そう意味では、欲というものが、最初から少ないです。

ただ、一つのことをやり通すとどうなるのかという興味はありました。でも、あきましたw
でも、その経験で逆にいろんなことをみられるといくか、基準ができました。

パーピマンさんにいわせると、あぶなっかしいといわれますが。
変なのには実際いままであってません。

ネットでは、判断できません。
今の老師もあって、初めて指示しようかなと。

100seia@無断転載は禁止NGNG
ツンデレいいねw
雪ノ下雪乃、
https://www.youtube.com/watch?v=nSQCIAI2vao
第一話 一話が一番おもしろいかもしれない。
くだけるのは、君の方だ。君の眼が、死んだ魚のような眼だな・・
この、むぼーとした人は・・

御坂美琴、

偉そうな人
星界の紋章 ラフィール  ラフィールと呼ぶがよい。しびれるねぇ・・

変態
このすば ダクネス

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