「蒙古襲来」や「秀吉の大返し」を科学的に解明した [きつねうどん★]

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1きつねうどん ★2020/10/18(日) 06:53:42.09ID:CAP_USER
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日本史サイエンス(講談社)

 出たばかりの本だが、ネットで高評価が並んでいる。『日本史サイエンス』(講談社ブルーバックス)。日本史にはさまざまな謎があるが、「蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和」の真相について科学の目で迫り、実はこうだったのではないかと解き明かしている。理系のブルーバックスだが、歴史ファンにとっても見逃せない一冊だ。

船に関わり続ける
 「蒙古襲来」は「元寇」とも呼ばれ、1回目は1274年の「文永の役」、二回目は1281年の「弘安の役」として知られる。かつては、「神風」が吹いて、蒙古軍が撤退したといわれていた。戦前の日本では、最後は「神風」が吹く先例として語られ、国民を鼓舞する材料になっていた。

 本当に「神風」が吹いたのか――。近年、歴史家の間でも検証が続いている。BOOKウォッチで紹介済みの『蒙古襲来と神風』(中公新書)も定説に疑問を提起、そもそも文永の襲来では嵐が来ていないこと、弘安の襲来ではたしかに嵐は吹いたが、合戦はその後も続き、相手が劣勢になったから撤退したと見ていた。

 本書も同じく、合戦で「神風」が吹いたのではない、という説だ。さらにその理由を科学の目で検証しているところが新しい。

 著者の播田安弘さんは1941年生まれ。父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工の棟梁。三井造船(当時)に入社し、大型船から特殊船までの基本計画を担当した。半潜水型水中展望船、流氷砕氷船「ガリンコ号2」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇、ディズニーシーの噴水台船などを開発。東海大学海洋工学部で非常勤講師を8年間務め、2008年には日本初の水陸両用バス「LEGEND零ONE号」の船舶部分を設計した。定年後は船の3Dイラストレーションを製作する「SHIP 3D Design 播磨屋」を主宰し、19年公開の映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当、戦艦の図面をすべて手描きで作成するなど、「船」に関わり続けている人だ。

上陸に手間取る
 「元寇」については「船」の専門家という視点からの分析が中心になっている。モンゴル帝国は1271年に「元」と国名を改め、高麗を配下にしたあと、次の標的を日本に定める。『高麗史』によれば、元は高麗に対して6か月以内に大型軍船300、小型上陸艇300、水汲み艇300を建造するように命じ、さらには大工や人夫3万人以上を徴発させたという。

 播田さんの専門家としての第一のポイントは、6か月で大型船300の建造ができるのかという分析。当時の船の復元図や、資材の調達、大工の要員などから、実際には半数程度にとどまり、大型・中型合わせて約300隻と見る。

 戦いは蒙古軍2万6000人に対し、日本側1万人で行われ、日本側の半数は強力な騎馬武者、蒙古側は元と高麗の混成軍で言葉も通じない集団だったと推定する。

 ポイント2は玄界灘や対馬海峡の潮流分析。流れが速く横断に苦労する。蒙古軍の船団は何とか横断できたようだが、問題は船酔い。蒙古軍の三分の一は船酔いで満足に戦えなかった可能性を指摘する。

2きつねうどん ★2020/10/18(日) 06:53:48.22ID:CAP_USER
 ポイント3は博多湾の上陸地点。従来いわれてきた「息の浜沖」ではなく、「百道浜」だとする。蒙古側は、元寇の前に6回も日本に使節を派遣しており、いずれも「百道浜」に近い今津港に投錨している。つまり彼らはある程度、博多湾を知っていた。加えて多数の大型軍船が投錨するには一定以上の海面の広さと水深が必要。このあたりの分析は、播田さんの本業でもあり、きわめて精密だ。しかしながら、船がひしめき合って彼らは上陸に手間取ったと見る。

壱岐で大量の遭難
 こうして、過去の通説――蒙古軍は早朝に博多湾に侵入するや全員が上陸し、すぐさま日本側の武士たちと戦って集団戦で殲滅、ところが神風が吹いて撤退、というストーリーを突き崩していく。

 蒙古歩兵と日本の騎馬兵が戦った場合は、騎馬兵が圧倒的に強いこと、日本の弓や刀は蒙古軍よりも優れていたこと、なども紹介しながら、蒙古軍が全軍上陸に手間取り、不利な白兵戦に持ち込まれて敗走、引き揚げたと見る。博多の戦いでの蒙古軍の死者を5000とすると、全軍の19%の損耗となり、この数字は当時の戦いの常識では「大崩れ」に相当するものだった。

 蒙古軍にとっては、さらに不都合なことが起きたという。退却の途中、船の修理や休息のため壱岐に立ち寄ったが、ちょうど北西風が強くなる時期。大量の船が座礁したと見られるのだ。この程度の船だと錨を下ろしていても、風速15メートル以上になると流されてしまうことを指摘している。のちに壱岐で遭難した軍船が100隻、上陸艇30隻が見つかっている。

 『元史』によれば、文永の役の蒙古軍の未帰還者は約1万3500人。播田さんは博多での戦死者が約5000、壱岐での溺死者が約9000と見積もっている。

理科の時間がガタ減り
 元寇についての数少ない史料に『八幡愚童訓』がある。「八幡様のご加護」が強調され、それが戦前の「神国」「神風」につながった。播田さんによれば、これはいわば寺社勢力のPRのためにつくられたもの。科学の目を通した冷静な分析が必要、というわけだ。

 本書ではこのほか、本能寺の変を知った羽柴秀吉が驚くほど短時間で引き返した「中国大返し」はなぜ可能だったのか、戦艦大和は本当に「無用の長物」だったのか、についても詳述している。「中国大返し」については、絶対に必要な「ある前提」を指摘している。

 著者は「科学」の大切さを強調しつつ、「終章」で、日本の理科教育の軽視ぶりに苦言を呈している。文科省は50年ほど前から高校理科の授業時間を減らし始め、その傾向はどんどん強まっているという。日本の技術系の大学生の数は、もはや中国よりも一桁少なくなっている、将来のノーベル賞の展望は暗いと嘆いている。

 日本が近年「科学」や「教育」を軽視していることは、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)などにも詳しい。菅政権の「日本学術会議」への対応や、一部自民党議員の「学術会議」と「学士院」の混同ぶりなどからも「学問軽視」がうかがえる。BOOKウォッチでは、東大生協で、「頭脳流出のススメ」とでもいうべき『海外で研究者になる――就活と仕事事情』(中公新書)が売れていることを紹介済みだ。

 このほか、日本における西欧科学の受容史として『維新と科学』(岩波新書)、明治期の天才については『清々しき人々』(遊行社)や、『榎本武揚と明治維新』(岩波ジュニア新書)なども紹介している。『歩く江戸の旅人たち』(晃洋書房)は、江戸時代のお伊勢参りで当時の人々が毎日どれくらい歩いたか、日記などをもとに分析している。「中国大返し」の参考になる。

書名:  日本史サイエンス
サブタイトル: 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る
監修・編集・著者名: 播田安弘 著
出版社名: 講談社
出版年月日: 2020年9月20日
定価: 本体1000円+税
判型・ページ数: 新書判・248ページ
ISBN: 9784065209578

https://books.j-cast.com/2020/10/17013225.html

3Ψ2020/10/18(日) 07:07:19.20ID:FJwq2f9t

4Ψ2020/10/18(日) 07:23:17.90ID:BqaOdXqD
要約するとケンチャナヨ船をヒトモドキが造ったから負けたってことだよな

5Ψ2020/10/18(日) 07:27:57.80ID:e7T0DZ9P
船酔いで上陸したらキチガイのような蛮族が襲いかかってきたでござる。

6Ψ2020/10/18(日) 07:34:43.43ID:P1JR0ZPr
蒙古襲来も朝鮮出兵も朝鮮軍と中国軍は同じ行動をしている。朝鮮が中国から独立していたと考える方が無理がある。

7Ψ2020/10/18(日) 07:43:50.34ID:NEV2m3nv
神風が吹いたというのは元寇をリアルタイムで知る世代が少なくなった30年後に坊主や神主がいきなり言い出したことで、要するに「勝ったのは我々の祈祷のおかげだ」とアピールするためのデッチ上げなんだよ。

8Ψ2020/10/18(日) 07:54:38.95ID:/+oVcDFk
まず、科学という言葉だ。

科学特捜隊からはじまって戦後高度成長期に頻繁に使われ万能になった。
どこぞの飲み屋で酔っぱらいどもが、論争し、論争に負けそうになった高学歴の奴が「科学」という印籠を持ち出し、
相手は「ギャッ」いって、相手の学歴とその印籠を聞いただけでぐうの音も出なくなる、そんな時代があった。

科学とはどんな意味を持つのか?どんなことをするものなのか?
当時ネットなどもなく情弱だった日本人の多くは、わからずにやみくもに恐れていたのである。
唯一知るのはウルトラマンの科学特捜隊つまり怪獣を倒す力としてのイメージだろう。
怪獣=わけのわからないモノを退治できる力・・・。万能な科学。

まるで、新興宗教そのものではないか?科学という言葉自体が怪しい響きを持ってくる。新興カルト集団科学教になりうる危険を持っている。
末は博士か大臣か?そんなところまで昭和時代には科学はのし上がった。(今はエビデンス教もあるが)

実際、原発事故の時、科学者はどんな行動をしたのか?万能な科学で解決したのか?

科学とは地道なものである。そんな目立つようなものではない。しかし、人類の平和の為に役立っている。
科学という言葉を振りかざして、傲慢になっていないか?科学者はとんな時でも冷静沈着な目で事象を追う。
政治思想にも染まらない。淡々と研究を続けて行くべきだ。
なぜなら、狭い研究室で世間などとは隔絶した孤高の世界で研究を追及しているからだ。
一般人より、社会経験が少ない科学者は果たして政治的意見を述べてそれがすべて正しいと言えるのだろうか。

偏った政治的な動きをする学者は科学を悪用するエセだろう。

科学、学歴というハロー効果=後光効果に騙されてはいけない。
感情的、プロパガンダ、扇動、情動的なことを語る者は科学者のそれまでの信用を傷つける。
ましてや、他国に通じて軍事技術を提供するなどもってのほかだ。

科学と学歴を振りかざす、おっさんどもには気をつけた方がいい。

9Ψ2020/10/18(日) 08:10:40.66ID:X6dohRKh
つまりクソチョンと組んだら戦争に負けるってこったw

10Ψ2020/10/18(日) 08:34:49.59ID:Od8cQ6ZS
第2回目の元寇は、九州北部に築いた防塁を突破できずに
長崎の伊万里湾に移動。台風の襲来で、鷹島の島陰に避難するも
地形により南風が吹いて元軍の軍船は沈んだと言うが、大混乱した後
鷹島の陸上戦で日本軍が大勝利して海上に逃げた元軍を海戦で掃討したと
言うのが近年の説だな。
結果、無事に帰還できた兵士は僅か数千人とも数万人とも言われる。
結果、高麗軍4万、元と降伏した南宋兵10万の14万の大軍勢は殆ど壊滅したと言うね。
その後、第3次元寇も計画されたが、ベトナムにおける「白藤江の戦い」でまたもや
元軍は大敗北して第3次元寇は取り止めとなる。

11Ψ2020/10/18(日) 09:01:45.50ID:wvq1lj4C
鎌倉幕府は元寇が原因で滅んだのに「神風」なわけが無い
神の思し召しなら幕府が繁栄しまくらないと辻褄が合わないからバカでも分かりそうなものだけどな
文永の役に関しては敵が短期間で居なくなったというだけで嵐で沈んだとか撤退したという根拠すらないし

12Ψ2020/10/18(日) 10:27:52.42ID:fz08LFEO
>>1
科学的というなら朝鮮を支配下にしたこと
朝鮮人が作る船を使ったこと
負けるには十分な理由だよ

13Ψ2020/10/18(日) 11:48:50.46ID:zgWpuhWg
学術会議の講評が出てきた所で船業者の本は読む価値を落とした。

14Ψ2020/10/18(日) 11:56:30.73ID:n/FvLgH+
まあ、日本はもたもたしてたけど
ベトナムは蒙古を瞬殺してるしな
蒙古、船は苦手なんだろ
いや、馬が船苦手だったのかも

15Ψ2020/10/18(日) 14:11:40.56ID:aGZHbBIg
まあ、ちょっとからかってみた
って、感じかな

16Ψ2020/10/18(日) 22:45:19.64ID:h3VUBkmv
船酔いと推測するのが化学的なのか?、しょうない分析

17Ψ2020/10/18(日) 22:46:17.27ID:9b58Ov84
ネトウヨ「まんこ襲来」

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