1きつねうどん ★2021/02/22(月) 12:03:08.21ID:CAP_USER
69年前、島根県・竹島の主権が韓国に奪われるきっかけになった「李承晩ライン」の設置で、山陰両県を含む多くの日本漁船が不当に拿捕(だほ)され、長期抑留を余儀なくされた。設置後の1955年から64年まで、境海上保安部の巡視船「へくら」で対馬沖の警戒に当たった元海上保安官の井上久仁男さん(83)=島根県松江市東朝日町=が、拿捕の現場や海域での攻防を初めて証言し、主権の大切さを訴えた。22日は16回目の「竹島の日」。
井上さんは鳥取県岩美町網代出身。450トンの巡視船へくらは、第7管区海上保安本部(北九州市)の応援として、絶えず対馬沖に派遣されていた。
へくらに与えられた任務の一つは、韓国の警備艇を追跡しながら、無線で7管本部や漁場で警戒する巡視船に連絡し、日本漁船を移動させて未然にトラブルを防ぐことだった。
主に底引き網漁船が操業する対馬沖の海域は広大で漁船も散らばっていた。速力が遅い日本の漁船は警備艇に見つかり、追い付かれることがしばしばあり、救援に向かった。
「こちらはレーダーで位置を把握していた。警備艇は李ラインの外だろうが内だろうが、見境なく漁船を拿捕した」。警備艇は李ラインの侵犯を見張るというより、日本の漁船を捕まえることが目的のように見えたという。
任務中、度々拿捕の瞬間を目撃した。警備艇が漁船に横付けすると、漁師を自動小銃で威嚇。武装要員が漁船に乗り込み、ロープでえい航しようとする。
へくらは韓国側による拿捕を防ぐ”最後の手段”として、接触しようとする警備艇と漁船の間に割って入った。しかし、体当たりまですると、木造で漁船を改造したような警備艇を破砕させる恐れがあるため、やむなく漁船から離れるのだった。
武装要員が乗り込んだ漁船から抑留を恐れた漁師が海に飛び込み、命懸けでへくらまで逃げてくることもあったという。
本来は韓国の主権が及ばない公海。それなのに、へくらは警備艇にえい航される漁船を釜山沖の韓国領海近くまで見届けるしかなかった。
「悲しくて、悔しくて食事ものどを通らないほどだった」と、当時のむなしさが60年以上経った今も、こみ上げる。
53年に竹島沖で韓国から銃撃を受けたこともあるへくらは、その後も哨戒活動で竹島周辺を訪れた。
井上さんによると、57年ごろ、竹島のすぐ近くに停泊し、船内に積んであった手こぎのカッターで10人ほどの海上保安官が乗り込み上陸を試みた。
岩場まであと数メートルのところで、断崖に建つ粗末な小屋から、自動小銃を抱えた韓国の警備隊員の男性1人が下りてきた。「身ぶり手ぶりで上陸の意思を伝えると隊員が『帰れ』と合図してきた。厳しい態度ではなかった」と振り返る。 既に韓国の不法占領が始まっていた竹島。しかし井上さんをはじめ、上陸を試みた乗組員全員の思いは一致していた。
「みんな日本の領土だという認識があった」と。
https://this.kiji.is/736408787888111616
井上さんは鳥取県岩美町網代出身。450トンの巡視船へくらは、第7管区海上保安本部(北九州市)の応援として、絶えず対馬沖に派遣されていた。
へくらに与えられた任務の一つは、韓国の警備艇を追跡しながら、無線で7管本部や漁場で警戒する巡視船に連絡し、日本漁船を移動させて未然にトラブルを防ぐことだった。
主に底引き網漁船が操業する対馬沖の海域は広大で漁船も散らばっていた。速力が遅い日本の漁船は警備艇に見つかり、追い付かれることがしばしばあり、救援に向かった。
「こちらはレーダーで位置を把握していた。警備艇は李ラインの外だろうが内だろうが、見境なく漁船を拿捕した」。警備艇は李ラインの侵犯を見張るというより、日本の漁船を捕まえることが目的のように見えたという。
任務中、度々拿捕の瞬間を目撃した。警備艇が漁船に横付けすると、漁師を自動小銃で威嚇。武装要員が漁船に乗り込み、ロープでえい航しようとする。
へくらは韓国側による拿捕を防ぐ”最後の手段”として、接触しようとする警備艇と漁船の間に割って入った。しかし、体当たりまですると、木造で漁船を改造したような警備艇を破砕させる恐れがあるため、やむなく漁船から離れるのだった。
武装要員が乗り込んだ漁船から抑留を恐れた漁師が海に飛び込み、命懸けでへくらまで逃げてくることもあったという。
本来は韓国の主権が及ばない公海。それなのに、へくらは警備艇にえい航される漁船を釜山沖の韓国領海近くまで見届けるしかなかった。
「悲しくて、悔しくて食事ものどを通らないほどだった」と、当時のむなしさが60年以上経った今も、こみ上げる。
53年に竹島沖で韓国から銃撃を受けたこともあるへくらは、その後も哨戒活動で竹島周辺を訪れた。
井上さんによると、57年ごろ、竹島のすぐ近くに停泊し、船内に積んであった手こぎのカッターで10人ほどの海上保安官が乗り込み上陸を試みた。
岩場まであと数メートルのところで、断崖に建つ粗末な小屋から、自動小銃を抱えた韓国の警備隊員の男性1人が下りてきた。「身ぶり手ぶりで上陸の意思を伝えると隊員が『帰れ』と合図してきた。厳しい態度ではなかった」と振り返る。 既に韓国の不法占領が始まっていた竹島。しかし井上さんをはじめ、上陸を試みた乗組員全員の思いは一致していた。
「みんな日本の領土だという認識があった」と。
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